米原橋


TwitterのTLに「趣味のきっかけ」みたいなハッシュタグが流れてたので、ふと自分のことを思い返してみた。道路趣味っていつからだろう?

たぶん、国道8号と国道21号の分岐点近くに架かっていた跨線橋の米原橋を徒歩で渡りたい、と祖母に懇願したときだろう。

祖母の家に行くとき、車掌が乗務するボンネットバスに乗り、米原駅東口から2つ目のバス停を過ぎたあたりで渡る橋は、3歳児にとってとても奇異な形状に見えた鋼橋だった。また、その手前には「←長浜 ↑関ヶ原 大垣」の白看板があったことも瞼に焼き付いている。どうしてもじっくり眺めたくて、水筒にお茶を入れて「ちょっくらそこまで」のノリ(実際には7kmほどの距離。3歳児が一人で歩けるわけない)で出かけようとして、こっぴどく叱られた記憶も鮮明だ。

当時、その米原橋は国道8号であった。大型車同士の離合が難しく、バスが渡っているにも関わらずダンプが突っ込んできた場合には車掌が笛を吹きながら飛び降りて交通整理していた。また、蒸気機関車(北陸本線の交直デッドセクション通過のためにD51が牽引していた)の排煙が流れてくることによる煙害防止の為か橋上で停車したりもした。そんなときこそ橋の構造をじっくり眺めることができて満足だった。

この米原橋、獏とした記憶では下路式アーチ橋だったのだが、今日、ネットで検索して初めて形式を知った。ピン結合のプラットトラス橋だそうだ。そんなことを詳しく解説しているのは・・・やはり轍のあった道ですな(笑)

祖母や母の生前に聞いていた話をまとめておくと、

  1. 戦前、国道8号(当時も国道だったのか?)は米原警察署(話を聞いた当時はその地にあった米原高校)前で大きく左にカーブして、踏切で東海道本線と北陸本線を渡っていた。
  2. 戦争中に橋が架けられた。(この「戦争」は、祖母曰く支那事変、母曰く太平洋戦争、少なくとも姉川の戦いではない)
  3. 近代的な橋が架かったと聞いてすぐに見に行ったが、あまりに貧弱な橋ですぐに落ちると思った。

横から見た写真はないものかと検索してみたが、どうにも見当たらない。辛うじて、米原駅を跨ぐ跨線橋を施工した川田工業90周年記念サイトに見つけた。メインの米原跨線橋の後方にわずかに確認できる程度の写真だ。

5歳頃だったか、国道8号の経路が変更になったのか、それまで米原橋を経由していたバスは1kmほど北側に完成していた岩脇跨線橋を経由することとなり、その直後に米原橋は自動車通行止めとなった。橋は長らくそのままの状態だったが、中3か高1の頃にとうとう撤去され、しばらくしてからコンクリート桁橋が架けられた。現在のおうみ陸橋である。

ちなみに、祖母の生前の話の一つ目のとおり、国道8号と国道21号の分岐は当初は現在の米原警察署前であったが故に、今でも国道21号の終点はこの米原警察署前交差点となっているのだろうか。西円寺交差点から国道8号との重複区間なので、終点を示すものは特にない(と思う)が。

というわけで、1967年以来の道路趣味・橋梁趣味ということにしておく。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA