大山大鳥居円筒分水工

中国地方の最高峰・大山。「西の大山、東の富士」と呼ばれるほどに、美しい山である。その東麓、標高200m前後の台地にライダーに人気のキャンプ場、大山池がある。この名は通称であって正式名称は「狼谷ため池」という。近くには放射能泉で有名な関金温泉がある。

大正時代に始まった天神野台地開拓において、1916(大正5)年には天神野耕地整理組合が設立され、天神野耕地整理事業の一環として1922(大正11)年にこの狼谷ため池が完成したという。

参考資料によると

 しかし、当時は素掘りの土水路だったため、漏水が著しく、水不足は十分には解消されないどころか、絶えず水争いが起こっていました。そのため、昭和8年と18年には、根本的な貯水量増を目指して、狼谷ため池の堤高を上げる2期目、3期目の工事が行われました。

 狼谷ため池は2度の増築を行いましたが、受益地の水争いは解消できませんでした。その原因は、土水路の漏水のみならず、用水の分配量が受益面積に応じたものになっていなかったからです。幹線水路から、支線用水路へ水を分配するための樋門には、水を管理する水番を置いていましたが、少しでも自分の田に水を引き入れようと、それぞれ我田引水に懸命でした。そこで昭和43年には、素掘り水路をコンクリート張りにする工事と、県内唯一の円筒分水工の改修工事が行われました。

・・・とまあ、その他もろもろ、参考資料に天神野の用水に関わることが全部書かれていて素人の出る幕はない。当記事における分水工名称はこの論文のとおりとした。

気になるのは「円筒分水工の改修工事」という点。それまでの分水工を円筒分水工に置き換えたと見るべきだろう。国土地理院空中写真によれば、1967(昭和42)年5月時点では背割分水工、1971(昭和46)年5月時点で円筒分水工が存在するように見える。

今般の訪問時は分水のための仕切板が取り付けられていなかった。5月初めはまだ水温が低く灌水や湛水には適さないということだろうか。

管理者天神野土地改良区
所在地鳥取県倉吉市関金町大鳥居
完成時期1968(昭和43)年
訪問日2017-05-05
全景写真
大山大鳥居円筒分水工を東側から(大山方面を)眺める拡大する
大山大鳥居円筒分水工を東側から(大山方面を)眺める。分水路は5本。それぞれに水門が設けられている。
大山大鳥居円筒分水工を西側から眺める拡大する
大山大鳥居円筒分水工を西側から眺める。この日は分水のための仕切板が取り付けられていなかった。流量が少ないので外壁のオリフィスから流出しているが、分水最盛期は外壁を溢流する方式だと思う。
分水工の分水先各水門の掲示。治井手作業とは「じいで・さぎょう」と読み、集落総出で水路の堆積土砂掬い上げや草刈り(つまり、ドブさらい)することを指す、倉吉から三朝あたりの言葉だそうだ。また、水門の製造元として記されている藤原鐵工所は現存し、今でも水門を製造している。素晴らしい。「藤原式捲揚機」は特許或いは実用新案を取得したのだろうか。
水路上流を眺める。かなり最近に改修されたらしき大型除塵機(とその成果)が目を引く。
さらに上流をたどると、水路に屋根!そんなにゴミが入らないようにしなけりゃならんのか!?
ではなく、なんとソーラーパネル。結構いいアイデアかもね。
この水路をさらに上流へたどると、狼谷ため池(大山池)に着く。
円筒分水工の横にある親水公園。分水工の配水水路が2本延びている。

参考資料:農業土木技術研究会「水と土」174号(2015年3月)
- 天神野台地開拓史[著者:鳥取県農林水産部農地・水保全課 谷口真紀]