清滝ループ(正式名称不明)

(2003年8月12日初版記事公開/2022年7月30日全面改訂)
京都府道137号清滝鳥居本線の試峠(こころみとうげ)北側、誰にも知られることなくひっそり佇む京都化野の寺院の如く「のの字」が存在している。

1780(安永9)年に刊行された都名所図会の「愛宕山」に試峠や渡猿橋が見えること、古典落語「愛宕山」に試峠のシーンが登場することから、江戸時代中期には愛宕神社の一般参詣者参道として成立していた道路と見てよいだろう。当然ながら当時にのの字を描いていたわけではなく、昭和50年代に道路改良が事業化され、1986(昭和61)年前後に完成供用された。

清滝隧道は信号制御の交互通行なので、トンネル内で事故が発生したら清滝は陸の孤島になってしまう。緊急車両の通行路確保は市にとって重要課題である。

ここで、清滝ループ付近の空中写真で経年変化・工事時期を見てみよう。

1975(昭50)年03月 | 1982(昭57)年10月 | 1985(昭60)年04月 | 1987(昭62)年09月

1975(昭和50)年03月 清滝ループの気配が全くなく、試峠を越える京都府道137号清滝鳥居本線は幅員2m程度の歩道だ。
1982(昭和57)年10月 工事箇所を迂回するように道路の経路が変わり、カルバートが置かれている様子が見える。
1985(昭和60)年04月 カルバート上に土砂が被せられたが、車道はまだ敷かれていない。
1987(昭和62)年09月 清滝ループが完成している。これらの変化から、1986(昭和61)年前後に完成供用されたと推定する。

道路メンテナンス年報を始め、様々な情報源を調査したがこのカルバート(トンネル)に名称はないようだ。国交省が定める大型カルバート定期点検の対象は「2車線以上の道路を有する程度の規模のカルバートを想定」しているので、清滝ループは対象外と判断されたのだろうが、目測で全長40m幅員5.5m程度あり、きちんと記録しておくほうがよいと思うぞ。

試峠 や 清滝ループ の直下には、昭和初期に敷設されていた愛宕山鉄道の廃線跡を辿る、市道釈迦堂清滝道の清滝隧道(1927(昭和2年)竣工)がある。昭和18年に不要不急路線に指定され廃線になった後、昭和20年5月~8月は三菱重工業 京都機器製作所(四条天神川付近、現在の三菱自動車 京都製作所)の疎開先の一部になった。昭和40年代前半には交互通行用の信号が設けられていたようだが、具体的にいつから自動車通行が可能になり、或いは京都市道に認定されたのか、時間があるときに調べてみよう。

なお、SNSやブログ等の個人が作成した記事のみならず、京都市役所でさえ清滝隧道を京都府道137号清滝鳥居本線と表記しているケースがある。京都市役所は京都市内の府道及び市道を管理するので、区別の必要がないということか?(いや、そんなはずはない)

路線京都府道137号清滝鳥居本線
所在地京都市右京区嵯峨清滝一華表町/嵯峨清滝深谷町
回転度360度
完成時期1985(昭和60)年~1987(昭和62)年か?
実走行日2003-08-12
全景写真
(2003年8月12日撮影) 清滝ループ全景拡大する
清滝ループ全景。冬に来れば、もう少し見通しがいいかな?
清滝側、京都府道137号清滝鳥居本線と市道釈迦堂清滝道が分岐する交差点。のの字を描く青看板がいいぞ。
試峠に設けられているカーブミラー。峠ゆえに頭上方向にあるのだ。その上に見える橋桁は嵐山-高雄パークウエイの「試橋」だ。

(2022年5月6日撮影) 清滝側、京都府道137号清滝鳥居本線と市道釈迦堂清滝道が分岐する交差点拡大する
清滝側、京都府道137号清滝鳥居本線と市道釈迦堂清滝道が分岐する交差点。20年経ってもほとんど変化していない。信号機が更新された、高さ制限の規制標識位置が変わった、凍結防止剤が常備されるようになった、ぐらいか?
清滝ループカルバートの清滝側坑口拡大する
清滝ループカルバートの清滝側坑口。カルバートなのに馬蹄形(U字形)の形状は下の清滝隧道に合わせる配慮だろう。(京都の人って、そういうのにこだわらはんねん)
清滝ループの途中から眺めるのの字全景拡大する
清滝ループの途中から眺めるのの字全景。カルバートは補修されているので、それなりに点検されている。
清滝隧道が三菱重工業の疎開先になっていたことを示す文書。

参考資料

  • 三菱重工業株式会社史
  • 米国戦略爆撃調査団文書 Information submitted by plant officials in answer to USSBS questionnaire. Report No. 16n(1), USSBS Index Section 2