大沼の北側、渡島駒ケ岳(北海道駒ケ岳)の南麓~西麓に点在する巨大別荘地敷地に20件近くの円形交差点が存在する。
いや、存在したと言うべきか。
1960年代後半から1970年代にかけて不動産業者・建設業者がこぞって日本じゅうの土地を買いあさり、原野は別荘地になるはずだった。ここ渡島駒ケ岳山麓にも道外資本が入って開発が進んだ。
しかし1970年代中頃には開発の勢いは減速、開発を中断したり開発途上のまま転売が繰り返されたりして、40年以上経過した今、住宅区画は整備されたものの人が住むための整備はほとんど手付かずの状態で放置されているものが多い。
管理者または自然が立ち入りを制限している別荘地があるため、本記事ではこれらの円形交差点を纏めてレポートする。
カテゴリー | ロータリー |
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路線 | 敷地内道路 |
所在地 | 北海道茅部郡森町,北海道亀田郡七飯町東大沼 |
実走行日 | 2016-08-12 |
全景写真 | |
以下の文章に登場するエリアの色は、上の地図に示した色と対応している。
藤田観光 みどりの森(橙色のエリア)/小田急ユートピア(赤紫色のエリア)国土地理院空中写真によれば、1966年時点で既に南半分の区画整備が済んでおり、円形交差点1件が見える。その後にさらに開発が進んで最終的に5件(みどりの森が4件、小田急ユートピアが1件)の円形交差点が設けられた。両別荘地ともしっかり管理されており、唯一のゲートでは関係者以外の進入を禁じている。正面ゲート以外から進入できるのはヤブ漕ぎの達人だけだろう。 (仮称)大沼観光宅地(黄色のエリア)1973年頃に一気に開発が進められ、別荘地入口の1件(上の地図の黄色◎アイコン)を含む12件の円形交差点が設けられた。デベロッパーは継続調査中。最奥部の円形交差点(上の地図の黄色★アイコン)は渡島駒ケ岳登山者向けに日中のみ開放されている道路の途中にあり、立ち入りが比較的容易。南東側からの眺め。バス等のホイールベースが長い車両は中央島を回れないため、ショートカットを案内している。黄色★アイコンの北西側からの眺め。この写真の背後方向、さらに北西側に進めばクルドサックがあるはずだが、単独行は危険な香りがする地帯だ。 同じく黄色★アイコンの南東側からの眺め。 上の地図の黄色♥アイコンの円形交差点。何を撮ったものかさっぱりわからぬ。これでも中央島を撮ったつもりだ。 上の地図の黄色◆アイコンの位置にある円形交差点を目指したが、あまりのヤブに断念した。 現地訪問前は、円形交差点が多数存在するエリアで実物大パックマン遊びができると思っていたが、この廃道っぷりではムリ。 なお、別荘地入口は既に円形交差点の運用が廃止されている。 若駒園(青緑色のエリア)名古屋市千種区にあった山村土地建設(株)が1969~1973年に開発した別荘地。全900区画のうち何区画ぐらい売れたのかわからないが、現在の住民は1軒か2軒と見られる。水道が引かれていないのが売れなかった原因だろう。円形交差点が整備されたのは1972年のことのようだ。なお、この若駒園、実は現在も分譲が続いている。デベロッパーとの関係を連想する社名、苫小牧の山村土地開発が仲介しているのだが若駒園内に事務所があるという。住民に現地案内を委託しているのかも知れない。 なお、デベロッパーはここ森町のほか、苫小牧や帯広付近でも宅地開発を行っていたとのことなので、道内に管理会社を設立していたと考えるのが妥当だろうか。こんな門が来客を迎える。遊園地か健康ランドでもあったのか?と思わせる造りだ。 敷地内に入ってすぐの位置にある円形路(上の地図の青緑◎アイコン)には「若駒像」がある。なぜ若駒なのか謎。そして、この像の回りには何年か前に植栽されたと思われるコスモスとマリーゴールドが花を開いていた。 若駒園の円形交差点(上の地図の青緑★アイコン)を西側から眺める。どーんと迫る渡島駒ケ岳が印象的。普段は邪魔と思う電線だが、ここでは人が住んでる証であり、ちょっと感動する。 北側から眺める。解説がなければ何を撮ったのかさっぱりわからない。 東側から眺める。中央島には錆びたブランコが見える。 南側から。中央島には「若駒管理センター」の看板が掲げられた建物があった。近付こうにも激しいヤブでどうにもならぬ。 円形交差点のそばに残る「ロッジわかこま」、大々的に分譲していたときの営業拠点だろうか。 若駒園に関する参考図書 : 中部財界(中部財界社)1973年4月号 アンデルセンの森(紫色のエリア)(調査中)1970年代から事業者の変更が繰り返されたが1985年頃にようやく造成が完了し、同時にミニミニ円形交差点が設けられた。 |