四方坂関ループ(陣旗カルバート)

(初回記事公開:2008年9月13日 記事全面書換:2020年5月27日)
宮城県が1988年に着工し、2015年10月に全線開通した仙南広域農道(蔵王コスモスライン)。その先行供用区間である旧羽前街道との分岐点付近がループしている。

構造はシンプルなボックスカルバートで、銘板等はなく、蔵王町の広報誌でも「ループ」「立体交差」等と表現されていて正式名称不明 → 正式名称は「陣旗カルバート」であることが判明。
交通量は意外に多く、数分に1台は通過する。
中央部は建設業者の駐車場として利用されているようだ。
陣旗カルバート及び川崎町との町境付近にある大森トンネルの完成をもって2004年4月2日に供用開始 ※1 された。

※1 広報ざおう 475号(2004年4月号)に次の記事あり。

川崎町とのアクセスがより便利にコスモスロード開通
 昭和63年から約73億円をかけて工事が進められてきた、白石市から川崎町までの仙南広域農道、通称コスモスロードの川崎町との町境、大森トンネル(約419.5m)部分の工事が完了し、山の入地区から川崎町前川までの区間が、4月2日から通行できるようになりました。
 この幹線道路の開通により、蔵王町と川崎町を結ぶ通勤路としての利用や、観光シーズンには両町のアクセスが便利になり、観光客など多くの利用が見込まれます。

旧羽前街道との分岐点には、誰が書いたのか小一時間問い詰めたくなる微妙な達筆の「羽前街道」の石碑が立ち、その先の街道には「四方坂関」なる関所がある。初回訪問時、古い関所の復元だと思っていたが、帰宅後に文献を漁ってもそれらしき記録はない。どうやら「旧羽前街道道中まつり」(第1回は1994(平成6)年)のために作られた関所風のイベント施設らしい。

羽前街道とは明治以後の名称で、元々正式な街道ではなかったようだ。平安時代から江戸時代初期にかけて、笹谷街道川崎宿(現川崎町)と奥州街道宮宿(現蔵王町)をショートカットする道であった。それ故に、宮城県は仙南広域農道を「蔵王コスモスライン」以外に「新・羽前街道」と呼んでPRしている。

羽前街道石碑から四方峠までの1kmは四方坂と呼ばれていた(る)そうだ。四方峠は中学校の歴史で習ったような気がする「前九年の役」の舞台のひとつらしい。峠を越えて隣町の川崎町まで旧街道ともつれるように車道が通じている。(なので、厳密にいえばのの字の定義から外れていることになる)

近くの鎌倉温泉は前九年の役に縁ある湯とのことで、セットで散策してみたい。友人からもいい湯・いい宿と勧められた。

路線仙南広域農道
所在地宮城県刈田郡蔵王町大字平沢
回転度270度
完成時期2004(平成16)年4月2日供用開始
実走行日2008-09-13
全景写真
(2008年9月13日初訪) 四方坂関ループ(陣旗カルバート)全景拡大する
四方坂関ループ(陣旗カルバート)交差部上から眺める。訪問時、ループ内側はダンプカーの駐車場のようだった。広域農道が作られる前は耕作地だったが、道路工事を経て現在はもはや単なる荒地だ。
写真中央やや左に羽前街道の石碑がある。
羽前街道石碑からのの字交差部を眺める。交差部はごく一般的なボックスカルバート。直径110mの大規模のの字である。
羽前街道石碑。これを達筆と言ってよいのだろうか。
古代の関所を復元したと勘違いしたが、現代のイベント「旧羽前街道道中まつり」のために作られた四方坂関。わずかに見える建物は物置小屋で、関所跡を復元したようなものではない。

(2020年3月28日再訪) 四方坂関ループ(陣旗カルバート)空撮拡大する
四方坂関ループ(陣旗カルバート)を空から眺める。12年ぶりの訪問であったが、殆ど変わっていなかった。土地所有者を区別する目的だろうか、ガードパイプが設置されている様子がよくわかる。

上空からの全天球写真、マウスでグリグリしてみてください。

仙南広域農道ビフォー・アフター

中央のスライダーを左右にずらして、広域農道開削前後の様子を確認してみよう。

Before
After

左:1975(昭和50)年09月11日撮影と1976(昭和51)年10月22日撮影のハイブリッド(地理院地図より)
右:2013(平成25)年09月18日撮影(地理院地図より)