砂川ループ橋

(2005年7月14日初訪)
砂川市焼山とどこを結ぶつもりなのかはっきりしない道。
市道か農道かさえもはっきりしない(砂川市役所に聞けばいいのだろうが)。

最初、道道115号芦別砂川線から(つまり、南側から)アプローチしようとしたのだが、入口が見つからない。辛うじて軽自動車がギリギリ通れそうなダートを上砂川町鶉本町で見つけたが、非常に怪しい道で、もし激しい下り坂の行き止まりだったらパニックに陥るので、素直に撤収して道道627号文珠砂川線(つまり、北側から)アプローチすることにした。

道道627号文珠砂川線を歌志内から砂川市街に向かって走行すると、簡単に見つけることができた。しかし、立派な橋の割に青看板等がないし、この橋の先に何があるのかもよくわからない。いつ頃に完成したのか見ようと橋名板・橋歴板を探すも、まだ取り付けられていない。つまり、まだ完成していないのだ。だから、青看板もないのだろう。
道道627号とペンケウタシイナイ川の間にはサイクリングロードがあるが、これは旧国鉄歌志内線の廃線跡を転用したものとのことである。

この橋を渡って山あいを縫うように走っていくと、比較的新し目の林道乃至は農道のような1.5車線の道が続くが、いつの間にか道道115号に合流しておしまい。新しい道を作った理由がわからないのだ。話題性のあるのの字として記憶に留めておきたい。


2016年8月15日再訪(2016年12月18日追記)
11年ぶりに再訪してみた。が、相変わらず未完成のようで、橋名板は取り付けられていない。そりゃ市民意識調査で砂川市のイメージを「ループ橋。日本一の笑われた市。」と回答するぐらい市民にとって負の遺産だから、一銭たりとも支出の承認が下りなくても仕方ないか。

でも、1930年前後に架けられたと見られる北海幹線用水の国鉄歌志内線横断水路橋(焼山水路橋とも呼ばれる)、パンケ歌志内川からペンケ歌志内川へ洪水を分水する河川トンネル(1998(平成10)年に完成した6,200mの放水路)等と並ぶ立派な観光資源だと思う。


2020年3月19日追記
砂川市のウェブサイト上に掲載されている橋梁点検結果で、市道焼山鶉線の「砂川ループ橋」、ループ橋下のペンケ歌志内川に架かる橋は「ペンケ橋」であること、いずれも2003年に架設されたことが判明した。その一方、北海道新聞の写真データベースフォト北海道で「2001年11月15日に開通する砂川市道焼山鶉線」なる記録も発見した。私自身の記憶ではのの字巡りを始めた2002~2003年時点で既に存在を認識していたし、この種の報道は事実しかないので、2001年11月15日開通が正しいと思う。2003年は工事中断(取りやめ)の正式決定がなされた年ではないだろうか。

あらためて建設意図を考えてみたが、やはりよくわからない。
上述のパンケ歌志内川からペンケ歌志内川へ洪水を分水する河川トンネルだけでは洪水を処理しきれない場合を考慮して避難路を用意したのかも?と考えてみたが、それなら河川トンネルの上流側に橋を設けるほうがより安全である。当時の事情を知る人たちが健在のうちにヒアリングしておきたいところだ。

路線市道焼山鶉線
所在地北海道砂川市焼山
回転度330度
完成時期2001(平成13)年11月15日開通(橋梁部は1998年完成)
実走行日2005-07-14
全景写真
2005年7月14日初訪上砂川町鶉本町で見つけた、ループ橋へつながっていると見られるダート。本当につながっているか怪しいので、安全を優先して北側へ迂回することにした。
砂川ループ全景拡大する
砂川ループ全景
ループ上からの眺め拡大する
ループ上からの眺め。中央部の木の茂り方が意外に立派で、見通しは良くない。
銘板が取り付けられていないということは、未完成ということか。
1枚目の写真を走れば、ここに出てこれた模様。しっかりダブルトラックなので、自動車の通行量はそこそこあるということか。

2008年3月7日追記
おぉ。ついに産業遺産に認定されたか!?
ごく一部の2chユーザー?に絶大な人気らしい、沿岸バスの「黒歴史と中空知産業遺産」ツアー(2008年5月24日催行)。見るべきポイントをしっかり押さえたオトナの社会科見学だ。

2016年8月15日再訪 相変わらず未完成の砂川ループ拡大する
11年ぶりの再訪となったが、相変わらず未完成の砂川ループ。前後の道路整備状況も変わっていない。

2020年3月19日追記 砂川市の平成29年橋梁点検結果で橋梁名称を確認。だが架設年次に納得感がない。