道路・交通

中栗の国道292号旧道と河川トンネル

2014年9月のツーリングで見つけた国道292号脇の河川トンネル
ほとんど手がかりのないまま国会図書館や新潟県立図書館をはじめ様々な情報源にあたって探ってみた。

どんなトンネルがあるのか復習しておく。
妙高市コミュニティバス長沢線(2014年当時は頸南バス)の中栗バス停前にある。 [Google Maps]    [地理院地図]

現道は切土されており、その路盤面の2~3m下に長沢川が流れ、河川トンネルがある。房総半島でよく見かける川廻しトンネルに似ていると直感する。

河川トンネルは幅2m、高さ1.5m程度だろうか。手掘りで素掘りのように見える。

川廻しは房総半島だけでなく新潟県内でも信濃川水系渋海川やその支流である越道川で見ることができる。渋海川・越道川の流域では瀬替えと呼ぶそうだ。いずれも江戸時代中期から明治時代にかけて施工されたと伝えられる。
例:十日町市小脇丁 十日町市松代田沢 十日町市松代下山 十日町市松之山三桶
長沢も松之山や松代も高田藩の領地であり、新田開発の手法として紹介された可能性は高いと見る。

道の駅 瀬替えの郷 せんだ に行けば瀬替えの施工概要を学習できるだろうか?(そういう展示はなさそうな気がする)

一方、土砂災害による影響・復旧策として河川流路を変えたという可能性を確認しておかねばならない。
1978(昭和53)年4月21日/1979(昭和54)年12月23日/1982(昭和57)年2月23日に長沢地内で発生した「よしお沢地すべり」が中栗の河川トンネルに関係しているのでは?と仮説を持って文献調査をしてみたが、どうにも得心する情報を得られない。

ここで、この付近を通る国道292号の来歴を整理しておく。
古くから飯山街道として存立、明治時代に県道富倉線として整備された。上越高田に司令部を置いた第十三師団の行動に必要な道路とされたことが整備の動機となった。その後、府県道高田飯山線~主要地方道新井飯山線を経て1970年に一般国道292号に指定された。
そこで古地図を見て納得。1910(明治43)年測図の地図(2.5万地形図・猿橋)に大きくカーブする道路(旧道線形)と河川トンネルが描かれている。

Before
After

左:1911(明治44)年測図 1930(昭和5)年修正測図 内務省(陸軍陸地測量部)
右:2025年現在の地理院地図

ということで、河川トンネルは明治中期以前の施工であることが確定した。この調査過程で、

  • 中栗周辺の飯山街道は1967年頃に大幅に線形改良されたらしいこと
  • 旧道には無名橋111号という1926(大正15)年架設の橋があること
  • 長沢川の支流である中栗川に1990年代に砂防堰堤が設けられたこと

がわかった。その時代なら石橋かも知れぬ。見に行かねば。

そして、満を持して再訪。
中栗バス停から旧道に入ってすぐ。建物は新しくなっているものの100年ぐらい変わらない風景だろう。

無名橋111号から国道292号旧道敷を眺める。えええ?これが1926年の橋?

仮設橋に見えるけれど、どうだろう?

仮設橋だね。砂防堰堤工事車両を乗り入れられるよう架け替えたのかな?

「奇岩 象の鼻」のすぐ脇に建設された砂防堰堤。

無名橋111号や砂防堰堤を撮影するために立ち入ることを沿道住民に断りを入れたついでに、河川トンネルのことを尋ねてみたら「ずっと昔からある。自然にできたものではないか。」との証言を得た。川廻し(瀬替え)だとしても土砂災害復旧だとしても、伝承が残らぬほど昔に施工されたと見てよいだろう。

結局、明快な結論を得ることはできなかったが、明治中期以前に作られたか形成された河川トンネルとわかってスッキリ。

「象の鼻」から河川トンネルに連なる地層(黄色の線)が侵食されない岩盤なのだろう。シームレス地質図には表現されていなかった。

    参考資料

  1. 新井市史 上巻(1973年/新井市史編修委員会)
  2. 新井市史 下巻(1971年/新井市史編修委員会)
  3. 地すべり研究 第29集(1985年10月/全国地すべりがけ崩れ対策協議会)
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