与那大橋

大宜味村以北の道路が整備されたのは大正になってからで、国頭村伊地-与那間は1917(大正6)年に中坂と呼ばれる山道が開設されたものの、荷馬車がやっと通れる程度だったという。

昭和5~6年に立案された沖縄県振興十五年計画により北部県道の開削工事が始められ、国頭村の辺土名~宇嘉は1935(昭和10)年に供用が開始された。その前年、中坂の岬を回る新道が開設され、岩場をつなぐように与那大橋が架設されたようだ。海岸沿いの橋が架設から80年経っても残っている例なんてそんなにあるもんじゃない。崩落する前に一度は見ておきたい。


というわけで、やってきた。これを見るための沖縄遠征と言っても過言ではない。
1994年に完成した新与那トンネルの西側(写真の手前)に旧道分岐があり、分岐の先には駐車場がある。
ここに車を駐めて、徒歩で旧道へ向かう。
速度制限のペイントが抜け落ちた旧道路面。私が初めて沖縄本島を訪れたのは1986年だから、そのときに北部へ足を伸ばしていればこの道路を走っていたはずだ。

旧道の与那トンネルポータルに突き当たる。全長159mの旧道トンネルは、「くら」で有名なヘリオス酒蔵が泡盛貯蔵庫として利用しているそうだ。とりわけ「与那の蔵」はオリジナルラベルで与那トンネルに3~5年間貯蔵してくれるそうなので、道路クラスタにオススメしたい一品だ。

その与那トンネル横にある踏み分け道へ入ると・・・いかにも旧道の路盤が現れ、気分が高揚する。
その先には・・・崩壊したコンクリートの路盤と、その下の岩場がむき出しになっている。簡単に持ち上げられる重さではない。波浪のエネルギーの大きさってどれぐらいなんだ?

そして岬を回った先には、
木の化石か?いやいや、撤去された電柱の跡だ。

さらに崩壊路盤を先に進む。これが与那大橋だ。
与那大橋の先(東側)は大きく崩壊しており、徒歩でも苦しい。コンクリートの基礎に立つあの柱はなんだろう?

ここで振り返ると、与那大橋の親柱が見える。辛うじて1基が残っているだけで、他の親柱は流出してしまったようだ。

高欄は3つの逆U字型の穴が並ぶデザイン。
橋の幅をざっくり手尺で測ったところ4.8m。当時、このあたりを走行した車のスペックはわからないが、離合するには少々心許ない。

与那大橋全景(西側から眺める)拡大する
西側から眺めた与那大橋全景。この日は穏やかな海面だったが、それでも橋の下に打ち付ける波は大きい。橋建設時の苦労は容易に想像できる。

与那大橋のアーチ部拡大する
与那大橋のアーチ部。近づいて初めて、ねじりまんぽ形式だとわかった。コンクリート製なので技術的に特筆する橋梁ではないのだろうが。

東側対岸の与那集落から眺める与那大橋拡大する
東側対岸の与那集落から眺める与那大橋。

与那大橋全景拡大する
与那大橋全景

西側駐車場に国頭村が設置した、周辺道路建設の歴史を示す立体地図。
赤い線が明治~大正初期の「高坂」、
黄色い線が大正6年に開鑿された「中坂」、
岬を回る旧々道(昭和9年、与那大橋を通る道)、
緑の線が本土復帰の翌年1973(昭和48)年に供用開始された与那トンネルを通る旧道、
青い線が1994(平成6)年に供用開始された現道
である。


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