10:30出航の「らいらっく」に乗船するためには、08:30頃までには新潟西港に着いておきたい。そこから逆算して、遅くとも03:30までには東京を出発したい。
というわけで7月9日 02:30に起床し、03:35に霧雨の中を出発した。出発時のOdometerは36,449kmを指している。さて、8日後にこの場所に戻ってくるとき、いくらになってるだろうか?
三郷西から外環道に乗る。ETCを使える身なら、是が非でも新座料金所を4時までに通過する必要があるが、深夜割引なんて関係ないので、この時刻で構わない。まだ体は半分眠っているので、走行車線を法定速度で進む。
関越道に入り、高坂SAで1回目の休憩を取る。バイク置き場には、荷物満載のDragstarが停車している。きっと、私と同じく新潟経由で北海道へ向かうのだろう。と思っていたら、オーナーが戻ってきて声をかけてくれた。「北海道ですか?」 この時間に荷物満載のバイクは間違いなく新潟港へ向かうことは明白なのだ。
夜明けの関越道をほぼ法定速度で北へ向かう。やがて赤城山が右手に見えてくるはずだが、あいにくの天気で山は見えない。しかし、急激に下がる温度に高度を上げていることを体感する。温度計は15℃。こりゃ寒いワ、とフリースを着込む。まさか本州にいる間に着る羽目になるとは思わなかった。
新潟県内に入る。六日市を過ぎると1車線規制が行われていた。中越地震復旧工事のためである。小千谷市内だけが、路肩の標識やガードレールなど激しく波打っている。あの地震以来、小千谷・長岡付近に遊びに行くことを避けていた。次の冬までに復旧できるだろうか。
ほぼ予定通りの時刻に中之島見附ICを出て、R8を北へ向かう。07:00を過ぎており、出勤らしき車が目立つようになってきた。思うようにスピードが上がらない。・・・となると次に来るのは眠気。白根のジャスコ前で15分程度の仮眠を取り、再び新潟を目指す。
朦朧となりながら、予定を大幅に過ぎた09:10、新潟港に着いてみると・・・アーパースさんが例の調子で「ヨッ ! 」と迎えてくれる。「そっかー、このために走ってきたんだー」と意味不明ながらも納得、疲れも吹き飛び、気分はすっかり北海道モードへ。
乗船が始まったので、あいさつもそこそこにカーデッキへ向かう。バイクは船側外板に沿うように駐車する。そして、乗組員から「荷物をバイクから降ろして横の網棚に載せる」ように指示される。文句を言ってもしようがないので、黙って指示に従う。荷崩れで車両が転倒したとき、バイクに積んだ荷物は乗船客の携行品扱いであり、フェリー会社が契約している積荷保険では保障されないのだ。少しでもコストを抑えたい新日本海フェリーならでは、のことである。傍にいたEliminatorの女の子が「二度と積めませ~ん ! 」と、半ベソ状態である。ちょっと待て。荷物を降ろしたくない気持ちはわかるが「積めない」ことはないだろ? 北海道でどうするんだよ?
なんのかんのと言っても、乗ってしまえばすっかり北海道モード。高坂SAで声をかけてくれたDSの兄さんと同室の2等で、のんびり道内の計画を話しあう。新日本海フェリーの2等は座席は指定されないが、1室の定員が12名程度なので、静かに過ごせるのがよい。
昼食はコンビニで買っておいた弁当を食べたが、夕食は船内レストランで食べた。カフェテリア方式であるが、腹が減っているだけあって欲しいものを無造作に選ぶと、とてつもない量&金額になるので、十分節度ある行動となるよう気をつける。カツ煮とマカロニサラダそしてライス大盛&みそ汁、というシンプルなメニューである。レストランはなかなかの込み具合なので、さっさと済ませ、船室でビールをグビグビッと流し込んで、早めに就寝する。
Day 1 へ続く…