8月13日(土)
06:00起床。
ハンモック越しに外を見ると、快晴のようだ。同行者が早朝から日の出公園の展望台で撮影した写真を見せてくれる。雲海が出てたのか。うーん失敗したぜ。ちょっと疲れが溜まってきたようだが、いずれにしても今日が道内最後。
16:00までに苫小牧に着いておきたいので、今日は走り回らないほうが無難かな、というわけで、道中の博物館等を巡る旅にする。今まで、行こうと思いつつ時間の関係で行けなかった・立ち寄れなかったところばかりだ。
09:07 日の出公園撤収完了。今日は歴史オヤジの日にする。
09:22 ということで、上富良野開拓記念館。
ここは大正15年の十勝岳噴火・泥流災害、その復興時に村長だった吉田貞次郎宅を移設復元し、開拓や十勝岳噴火の資料が保存されている。昨年5月、三浦綾子の泥流地帯を読み、上富良野の歴史をあまりにも知らない自分を恥じたのが、ここを訪問するきっかけである。
管理人は近所の婦人会(みんな90前後だそうだが・・・)の人たちが交代で務めているとのこと。この日のおばさんから、子どもの頃の苦労や身の上話を聞き、そのごほうびに?ゆでとうきびをいただいた。
当時の住民は少なかったとは言え(だからこそ)、壊滅的な被害からよくぞここまで立ち直ったものだと感心する。その復旧のヒントは、次に訪問した土の館にあった。
農機具の博物館かと思っていたら、そんなもんじゃない。
上富良野や道内外の土の標本がずらりと並んでいて、その研究の深さに圧倒される。
北海道の多くの土地は、開墾すれば自然と作物ができる環境だったのではなく、客土を重ね、排水や用水を整備して、今の状態になったのだ。特に上富良野は、泥流が運んだ強酸性の土壌では作物が全く育たないので、かなりの量の客土をしているそうだ。
そんな土地で育てられる作物や牧草。畑に立てられた「口蹄疫対策のため立入禁止」はもっともな話である。一度×がついた土地を復活させるための苦労は並大抵のものじゃない。
その他にも、北大農学部のウニモグや蒸気トラクタ等、珍しい農機がいっぱいである。
外に出てみると、十勝岳の稜線がくっきり見える快晴。
どこを走っても気持ちがよく、この天気を待ち望んでいたのだった。
富良野盆地は国道が混雑するので、裏の道道を抜けてゆく。
富良野国道~日高国道を淡々と南下してゆくと、振内でステーキハウスを見つけたので、入ってみようとするも・・・サーロインステーキの値段に驚いて飛び出てしまった。今から考えれば、ハンバーグでもよかったんじゃないか?と言っても時既に遅し。
その後、振内鉄道記念館に立ち寄る。あいにく、記念館は平日の昼間のみ開錠してくれるとのこと。防火対策上しかたのないことなんだろうけど、これじゃ見る機会は永遠になさそうだ。記念館の横にはD51と43系?客車。だが、D51の印象がちょっと違う。どこが違うと聞かれると困るのだが、なんか違う。Wikipediaによると、サハリン向けに輸出された車両らしい。本土型D51と比較している間違い探しサイトはないものか?
次は二風谷のアイヌ文化博物館。
以前に白老のポロトコタンに行ったことがあるが、展示内容はほとんど覚えていない。
軽い気持ちで入館したのだが・・・想像以上の展示量。萱野茂氏の思いがこもった場所だ。1時間じゃまるで足りぬ。じっくり見るのは次の機会にせねば。
厚真のホクレンで給油、黄色の旗を入手して今年度コンプ。
後はフェリーターミナルを目指すのみ。
おっと、忘れちゃいけない。ソフトカツゲン!
苫東方面からフェリーターミナルへ向かう最後のセイコマで無事ゲット。
15:59 フェリーターミナルまで、あと3km
16:10フェリーターミナル到着。これにて道内終了。
Day7の走行距離 : 193.4km
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こんにちは、楽しくツーリングの様子見せていただきました。
私も古い建物や博物館などが好きなので、参考にさせていただきます。
サハリン戦後賠償輸出されたD51は コクピットの耐寒性向上のための装備が違うそうです。
今年廻った西春別鉄道記念館のD51にそう書かれていました。
表記にD51−○○と「ー」が入っていると輸出仕様だそうです。
IGAPONさん、こんにちは。
なるほど、耐寒性ですか。
そして、西春別にもサハリン向けD51があるのですか。
もしかして、コレ? http://www.kubok.net/road/2008/09/hokkaido-2008-day4.shtml
よく観察していないことがバレバレですわ。わはは。