潮岬に行くことだけを決めて、どういうルートで行くか、どこに泊まるか、いろいろと妄想していた。結局、第1案のルートを辿ることにした。1週間ぐらい前までは、キャンプにするか宿にするか迷っていたのだが、阪神方面の師匠や兄弟子達が迎撃してくれると言う。ならば、雨が降っても川湯温泉でキャンプするのがよさそうだ。
今回の旅の友は、昨年の東北ツーリングでも完全同行いただいたMakotoさん。
本州最北端・本州最東端に加え、本州最南端も一緒に訪問しようということになった。
第2案に比べればかなり楽なルートであるが、それでも1,500kmというのはなかなかのハードスケジュールになりそうだ。気を引き締めて、5時頃に東京を出発しようと約束して、前夜は早目に寝ることにした。
Day 1 東京-大内山-川湯温泉
4時起床。
5時に出発・・・のはずが、土壇場で忘れ物に気付く。携帯電話の充電器だ。あれこれ探したものの、見つからない。仕方がないので、どこか途中で調達することにして、30分遅れで出発。
首都高に乗ってすぐ、仕舞った場所を思い出したのだが後の祭り。
6時過ぎに東京料金所を通過。
途中、横浜町田ICの大量流入による渋滞に巻き込まれながら、早くも帰路の大渋滞を想像してしまう。
その後も、大井松田、静岡、浜名湖、豊川、岡崎等の自然渋滞・事故渋滞に巻き込まれつつ、なんとか刈谷PAまで到達し、Makotoさんと合流、給油する。
四日市の渋滞を乗り越えて、亀山PAから名阪国道経由にするか紀勢道経由にするか考える。
やや時間が押していることもあって、名阪国道経由にすると、R169の最後の山道で暗くなる危険性があるとのMakotoさんのアドバイスもあり、ここは無難に紀勢道経由で進むことにする。
14時、紀勢大内山ICを通過。ここまでは、まぁ順調な時間経過である。あわよくば紀勢線の写真スポットで汽車撮影を企んでいたのだが、そこまでの時間的余裕はなさそうなので今回は諦める。
大内山ミルクランドで抹茶ソフト休憩の後は、淡々と南を目指す。途中、流れの悪い区間もあったが、熊野を過ぎて御浜町に入る。ここで例の難破船(フェリーありあけ)を見物に行く。
積載車両の固縛破断と思われる原因により船体が傾き、やがて転覆に至った海難事故であるが、転覆前後に流されて七里御浜沖に座礁した。結局、この船は現場で4月下旬までかけて解体されることになったそうだ。波間に漂う船体が痛々しい。
いろいろな方向から写真を撮りたかったのだが、バイクを乗り入れることができない場所なので、徒歩での移動となるのだが、日没時間を考えると時間切れのようだ。仕方なく先を急ぐ。
新宮市内で2度目の給油をし、夕食の食材を買い出してキャンプ場へ向かう。途中、熊野川沿いのR168に満開の桜並木があり、春を実感させる。とともに、だんだんと風が強くなっていることが気になる。
結局、川湯温泉・木魂の里野営場に到着したのは18時30分。明るいうちに到着することはできなかった。
急いで設営して、そのまま宴会へと突入する。迎撃隊の面々(micさん、90式さん、ポポンさんは初めてか?)は久々の顔ぶれだが、乾杯の直後からハイテンションな会話が続く。その合間に突然の突風に襲われる。突風と言うより、むしろ爆風だ。木魂の里付近の地形がそんな風を呼んでいる、そんな印象である。全身砂まみれ、食べ物も飲み物も砂まみれになりながら、時折焚火の火の粉が散り、ワタシのテントを襲う。
焚火の煙に燻されて眼を開けていられず、眼を閉じていると睡魔が襲ってくる。
我慢しきれず、早目に離脱。
その直後に雨が降り出し、強制お開きとなったようだ。
その数時間後に起こる事態を誰が想像したであろうか。
Day 2 川湯温泉-潮岬-白浜-川湯温泉
激しい雨音に目を覚ます。
時計を見ると02時50分。天気予報どおりだ。
もう少し強い雨の時間が続くだろうが、何時間も続くわけではないので我慢あるのみ。
・・・と思っていたら、風が周囲の木々を根こそぎ揺らす音、やがて唐突にけたたましい音、何かが吹っ飛ぶ音。
どうもテントの外ではエライことが起こっているらしい。外に出て確認したいのだが、この風の中、テントを開けると確実にテントが飛んでいく。
そうこうしているうちにテントの天井が寝ているワタシの目前に迫る。自分自身の身体も浮き上がる感覚が襲う。これはヤバい。某元F1パイロットは富士山でこんな感覚だったんだろうか。
ようやく小康状態になり、恐る恐る外に出てみると・・・
まず、ワタシのテントはフライ兼タープのガイロープが吹き飛んで、タープが垂れ下がっている。早々に手を打たないと、フライシートが吹き飛んでしまう。近くにあった漬物石でガイロープを固定して損害状況を確認するが、ペグが2本見つからないだけのようだ。
ほっと一息ついて、ふと周囲を見渡してみると、micさんのFunduroが転倒している。
ポポンさんのテントが随分遠くに移動している。
Makotoさんのテントが崩壊している。
これはイカン!ってことで声を掛けてみると生きてる!
這い出てきたMakotoさんとともに、テントを修復してペグを補強する。
ポールがひん曲がったようだがテントはなんとか自立するので、とりあえずの復旧を完了して、再び眠りにつく。その後も激しい風雨が続き、どうなることやら、と思ったのも束の間。
気づいたら朝7時だった。
そんな爆風雨の夜が明けると、風は強いものの雨は止んでいる。
これなら、なんとか動けそうだ。
2日目は、いよいよ本州最南端制覇の日だ。
潮岬を訪れるのは初めてではないのだが、四端制覇証明のためには、訪問証明書を入手するか石碑の前で記念撮影した写真が必要だ。そんな写真を撮ったことも、証明書を買ったこともないので、あらためて訪問するのだ。
黄砂が吹き荒れ視界が極端に悪く、とても観光するような状況ではないのだが、とりあえず橋杭岩を眺める。
大島へ渡り、樫野埼灯台まで行ってみる。
そしていよいよ、念願の本州最南端だ。最北端到達と同じ感動だ。
昼食は潮岬タワーの食堂で「近大マグロ丼」を食べてみる。完全養殖で有名なマグロなのだ。
意外に脂が乗っていて、普通に美味しい。
紀伊半島西岸を走り白浜へと向かう。白浜まで来たらお約束の空港訪問。南紀白浜空港だ。
白浜のとれとれ市場で夕食の買い出しをして、帰路につく。
渡瀬温泉で湯につかり、2日間に浴びた黄砂を洗い落とす。
結局、この日もキャンプ場到着は18時を過ぎていた。
この日から合流した谷さんを加えて、なんやようわからんネタで盛り上がっていく。
Day 3 川湯温泉-針-東京
早目に起きて撤収準備をするつもりでいた。
5時に目覚めたので起き上がろうとして、ふと我に帰ったら7時だった。もそもそと起きだす。
F650GSのメインキーをONにしてみると、車載温度計は2℃を示している。気温は低いが、いい天気だ。
いい天気だと、どうしてものんびりしてキャンプ場の朝を楽しんでしまう。
もっとも、雨だと何もやる気が起きずにウダウダとしてしまう。
つまり、性格的に撤収は遅いのだ。
残った食材を調理しながら胃袋に放り込み、ダラダラと撤収する。
前日の爆風ですっ飛んだペグを探してみるが、相当広い範囲を探索しても見つからない。きっと「近所まで来ているのに参拝しないとは何ごとか。次に来るまで預かっておこう。」との、熊野本宮大社の神様のお告げなのだろう。
今回の損害は、熊野本宮大社に奉納したソリッドステーク(ペグ)2本と、風で?ひん曲がったソリステ1本、そして風で煽られて曲がったテントポールだ。
ダラダラするにもほどがあるが、ようやく10:30に出発。
道中にあるのの字採取のため、R169を北へ向かう。
R169は改良工事が進むが、和歌山県と三重県の県境付近はまだ酷道が残る。1車線~1.5車線の道を慎重に進む。
本土でありながら、和歌山県でありながら、県内のどの市町村とも隣接しない北山村を通過中、水がとても澄んだ川を渡る橋の向こう、対向車が待避してくれていたので低速で脇を抜けようとしたところ、いきなりのエンジンストール。しまった、4速だった。そして転倒。
やっちまった。
幸いにして身体の損害はなく、車体の損害もさほどではなかったが、トップケースのロック部分が崩壊してカギがかからなくなった。そして、何よりも精神的なダメージが大きい。凹む。このまま走ったらすぐに再発してしまいそうなので、最寄の道の駅・おくとろで暫し気分転換する。Makotoさんには随分気を遣わせてしまった。
そうそう。この道の駅で売られていた、北山村特産の「じゃばら」という柑橘類。花粉症に絶大な効き目があるらしいデス。興味のある方はお試しあれ。
気を取り直して、再び北上。
遠回りになる五郷をパスできる不動トンネルを抜け、スプロケで有名なAFAMの工場がある奈良r229を通って(しかし、すんげー田舎にこんな有名なメーカーがあるなんて・・・)、伯母谷でのの字を採取する。ここ、伯母谷のR169旧道は、当時、バイパスがない現役国道としては数少ない交互通行区間のある酷道だった。かろうじて交互通行の痕跡を示す看板が残っていたが、もはや国道指定から外れ、通行車両もほとんどなく、荒れ果てていた。
道の駅・杉の湯川上で昼食、そして名阪国道針IC到着は予定を大幅に遅れて15時。
自宅から380km離れた場所で、どう考えても、日付が変わる前に帰宅するのはムリだ。もっとも、昨年の東北ツーリングでは、17時に自宅から420km離れた場所にいたのだから、随分学習したものだ(嘘)
普通に混雑している名阪国道を走りきり、東名阪道に合流すると大渋滞。
次の豊田JCT渋滞と岡崎渋滞に備えて、御在所SAで軽く腹ごしらえして、走り出す。
事故渋滞の三ヶ日付近で日没となり、浜名湖で夕食を摂る。
その後、東京まで合計100km近い渋滞をクリアして、東京料金所通過が23:57。
しまった。あと3分待てば深夜料金になったじゃないか!と気付いても後の祭り。
用賀からは下道で自宅を目指す。
自宅到着は日付が変わって00:50。
朦朧となりながら、なんとかバイクにカバーをかけ、彼岸にも関わらずほっつき歩いた不良子孫を大過なく見守ってくれたご先祖様に感謝の念仏を唱えてベッドに倒れ込んだ。
■ツーリングデータ
走行時間:22時間41分
走行距離:1,480km
給油総量:57.76L
平均燃費:25.62km/L
うーん。高速道路が930km(総走行距離の63%)だから、燃費はこんなもんなのかな。
もう少し改善したいんだけどなぁ。
■トラックデータ
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