東北ツーリング2013(東東北編)

今年も秋の遠足は東北三部作(のはず)。
数カ月前から日程を決め(単に、彼岸は遠出できないだけ)、設営候補地も洗い出しておく。
1泊目は岩手県南部。2泊目は宮城県西部。ここまで決めておけば、なんとかなる。
途中立ち寄りポイントをあれこれ考え、実際には気の向くまま。
・・・と考えていたのだが。

9月13日(金)朝、台風18号が発生したとの報。
その後の進路予報がズバリ関東~東北方面だ。なんかヤな予感がするなあ。
14日(土)は4時に起きて天気予報をチェックしてみる。
14日は問題なさそうだが、15日は午後からダメっぽい。16日はさらに暴風雨の予報。
こりゃ2日目の設営はないな、と腹をくくって5時に出発する。

Day1 : 9月14日(土)

東北方面へ向かう場合はいつも常磐道。たまには気分を変えてみようと東北道を選んでみたが・・・失敗。渋滞するわけではないが、流れが悪い。というわけで、ひとつ学習した。

大谷PA、安達太良SA、菅生PA(給油のみ)、鶴巣PA、中尊寺PAで休憩して、11:30に花巻ICを降りる。
まずは、花巻農業高校敷地内に保存されている、宮澤賢治氏旧宅兼私塾「羅須地人協会」を訪ねる。
使われていた当時の場所(現花巻市桜町4丁目)から移築されているそうだ(それも、たまたま現在地に移築されていたところへ、たまたま花巻農業高校が移転してきたらしい)が、素晴らしい保存状態ではないか。保存は花巻農業高校同窓会が行っているとのこと。この高校にとって、宮澤賢治氏はほとんど神に近い存在と言えるだろう。
敷地内にある宮澤賢治氏銅像が文化の香りだ。それにしても、これが当時の三十歳代なのか。
ともかく、期せずして我が名と同じ名を付けた(それも、「意義はない」と言ってのけるところが気に入った)大正・昭和の偉人の足跡に触れられて大満足である。

花巻農業高校の横には花巻空港の滑走路がある。何年か前の東北ツーリングで立ち寄れなかったので今回こそは、と立ち寄ってみたが、当時の記憶と様子が違う。確か、国道4号沿いに空港への進入路があったはずなのだが。
半信半疑で案内に沿って進むと、ちゃんとターミナルビルに入れた。が。設備が新しすぎる。もしかして・・・と思って、帰宅後に調べて理解。2009年に新ターミナルビルが供用開始されたとのこと。前回立ち寄らなかったことを今さらながらに後悔する。
ここで昼食にしようと考えていたのだが、入ってみて、黙って出てきた。
そうなんだよな。地方空港ってそんなもんだよな。コンビニ弁当のほうが美味そうだよな。

続いてやってきたのは、東和町のミステリー坂。
ネット上にあまり情報がないのが気になって、何か面白そうだな、と思ったのですよ。

ニュートラルにしてブレーキをリリースしても、ピクリとも動かん。ちょっと足で蹴ってみて、ようやく動き出すが・・・ほんの10mほどで停車。向こうに見えるサミットに向かって勝手に登っていくことを期待したのだが。

なんだかなー。

こんなことなら萬鉄五郎記念美術館に行けばよかったな、と思っても後の祭り。

道の駅みやもりで休憩しつつ、晩飯の買い出し。ここは道の駅にスーパーが併設されていて、おそらくマトモな食材を仕入れられる最後の拠点。

ここまで来たら、直轄ダム日本第一号の田瀬ダム(もちろん、そんなプロフィールは帰宅後に調べてわかったのだが)を見てみる。

堰堤高さ81.5mは伊達じゃない。想像以上の大きさにびっくりだ。
当初は猿ヶ石堰堤という名前だったらしいが、1954年に完成した際には田瀬堰堤という名になっていたようだ。管理事務所前に銘板が埋め込まれている。

北上川水系最大の人造湖をぐるりと巡って、国道107号へ。
そのまま旧小友村市街地へ向かうつもりが、吸い寄せられるように脇道へ。まるで読めない「蒻沢」って集落(“こごみさわ”と読むらしい)を抜けて、あらためて小友村市街地へ。


TMの一言に釣られてやってきた不動巖(と、巌龍神社)。

岩手日報が選んだ岩手三景とのことだが、えー、これがー?

現地の解説板をよく読めば、選ばれたのは1924(大正13)年とのこと。
厳美渓や猊鼻渓、安家洞に岩手山など、当時から他に素晴らしい景色がたくさんあっただろうに、なんでココなんだ?

というか、ググっても不動巖以外の岩手三景がヒットしないぞお!?

実はこの旧小友村、岩手県内に残る道路元標2件のうちのひとつ、との情報を得ていたので、それを探しにやってきたようなもんだったのだが、アタリを付けた場所では見つけられず。帰宅後にじっくり地図を眺めてみたら、残念。アタリをつけた場所が60mほどずれていた。

再び県道174号を戻り、五輪峠へ向かう。その道中、蒻沢への分岐点にあった商店。
うむむ。そのホーロー看板が気になる。森永がネクターを売ってる時期があったのか?と調べてみたら、「ネクター」は森永の商標だった!などと新発見に驚愕しつつ、なんで柴又なんだよう?
次回は開店しているときに訪問して、昔話を聞きたいものだ。

そして、五輪峠。
昭和32年11月3日付の竣工記念碑には、遠野江刺線と刻まれている。

今はそんな大それた区間ではなく、小友米里線と名乗る県道174号。
取り立てて眺めがいいとか、上級者向け険道というわけでもない。もはや、賢治オタク専用道と言うべきかも知れぬ。

峠に置かれた五輪塔の由来は350年前に遡るらしいが、現存する塔は昭和になってからのものらしく、宮澤賢治が見たものではないとのこと。

重ねて、なんだかなー。

道の駅・種山ヶ原で最終の買い物をして、設営地へ向かう。
途中、旧県道8号の姥石峠にはこんなへなちょこ通行止めバリケードがある。形式だけの通せんぼで十分な廃っぷりである。

斯くして、16:45に種山高原星座の森キャンプ場に到着。
で、到着してびっくり。なんだこの混雑は。
宮守からここまでの間にすれ違ったよりも多いクルマの数だよ?
ユルユルと設営して、夕焼けを眺めながら場内センターハウスの薬草風呂へ行く。

設営予定者全員が揃ったところで、無事の到着に乾杯。
星空に乾杯・・・のはずが、雲と霧が交互に出て、星なんてまるで見えぬ。見えるは上弦の月ばかりなり。
月明かりがまぶしすぎて星空を撮影することは元々無理だったという、極々初歩的な過ちを犯していたことは、一緒に設営した友人たちには内緒にしておく。

Day2 : 9月15日(日)

ファミリーが多いということは、こどもの奇声と親の罵声に起こされるということ。
ハイ、しっかり5時に起こされました。
辛うじて雨は降っていないものの、霧(というより雲)がすごくて、テントとタープがぐっしょり濡れている。
うだうだと前日の残り物で朝食を済ませて、だらだらと撤収する。
なんとか雨が降り出す前、8:30に出発。

県道10号を南下し、地図を見て気になっていた「市道峠」に到着。県道なのに市道とはこれいかに。近所には「市道入口」という看板も。その道は確かに一関市道なのだが。
・・・などとボケ続けても仕方ない。一関市大東町沖田市道(だいとうちょう おきた いちみち)って集落なのだね。
そういや、東京には市道山ってのがあったっけ。

大原という集落で国道343号に入る。この大原は昔の宿場町だったらしく、国道沿いの家並みがなかなか素晴らしい。2階建ての家屋が多いところから推測するに、明治中期から大正にかけて繁栄した街だろうか。切妻造り・入母屋造りと平入り・妻入りの組み合わせが混在していて、まるで建築展示場の様相である。そのようにデザインの統一感がない点からも、明治期以後にこぞって建てたと想像できるわけだ。

国道343号を進むと、そこにはループ橋が。
思えば、ここを訪ねるのはちょうど9年ぶり。木々の成長が著しい。
本当は、ここで旧道を散策したかった(というか、旧道から笹ノ田大橋を撮りたかった)のだが、同行者がいるし、ぼやぼやしてると雨が降ってきそうだったので、已む無く現旧の合流地点で数枚の写真を撮るだけで東へ進むことにした。

と、山岳区間をほぼ終えたところで雨が降ってきた。想定よりも早いタイミングの雨だが、このまま東京まで降られ続けるだろう。どこかでカッパを着なければ。

ガソリンスタンドを改造したコンビニ発見。同行者そっちのけで店舗の周辺に残されたガソリンスタンドの遺構を眺めてみる。楽しい。当時は出光のスタンドだったようだ。
ここでカッパを着込む。暑いが、我慢。

カッパを着たが故に、色々なことが億劫になる。カネを出しただけでロクに協力していない桜ライン311の幼樹を眺めることもせず、淡々と東進する。やがて陸前高田の市街地だったエリアを通過。整地されただだっ広い土地が痛々しい。そのくせ、激しく渋滞している。その多くは「奇跡の一本松」に向かう車だろう。

奇跡の一本松。クリーム色の2階建て、陸前高田YHの建物が防波堤となって流出を逃れたのか。
そのまま南下して、気仙沼に入る。

第十八共徳丸。これがなければ、鹿折唐桑駅なんて誰も気に留めなかっただろう。80m足らずの県道210号に鎮座する難破船、撤去作業中。10月19日には解撤が完了する予定だ。

気仙沼を抜ける頃には、すっかり本降り。修行僧の如く、本吉から国道346号を通って登米市街へ。一昨年のこの時期に登米のスーパー・ウジエで買えた茶豆だったが、今年は入荷していないとのこと。酷い雨の中を走ってきたのにー。
どうにもならぬ土砂降りなので、どこぞの店に食事に入ることも困難。仕方なく、そのウジエで軽食を買って、軒先を借りて食べる。
その酷い雨の中、登米の祭で山車が練り歩いているのには驚いた。

このまま下道を走っても面白さ半減なので、三陸道に乗る。
その後、仙台北部道路か仙台東部道路を経由して東北道へ向かうと決めたのだが、三陸道春日PAで雨が止む。もう帰る、と決めた後に晴れてもなあ。

磐越道差塩PAで40,000km到達。


道中突然に降られることを心配して、ずっとカッパを着たままだったが、結局、春日PA以後は降られることなく、22時に帰宅。
やっぱり、台風が近づいているときのツーリングは面白くないのう。色々と残念なことばかりだったので、来年も同じルートのツーリングをやりたいぞ。

走行距離 : 1,201.9km
走行時間 : 15時間12分
平均速度 : 79.07km/h
給油総量 : 45.55L
平均燃費 : 26.39km/L


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