赤城大沼用水円筒分水工

群馬県道4号赤城前橋線の終点付近、赤城山頂の大沼を取水源にする赤城大沼用水の分水工は、その県道4号沿いに2基設けられており、どちらも円筒分水となっている。山頂の大沼は「おの」と読むが、大沼用水は「おおぬま」と読む。

赤城大沼用水は1942(昭和17)年着工、1957(昭和32)年完工。明治の三老農と呼ばれ上毛カルタにも登場する船津伝次平が計画したが、そのときは実行に至らず100年近く後に完成した。

2基の円筒分水がいずれも用水の完工と同時に完成通水したのか、継続調査中。
第一円筒分水工は3本に分水(うち1本は第二円筒分水工へ分水)、第二円筒分水工は2本に分水している。

群馬県道4号・昭和30年代と言えば、スバル360の登坂耐久試験が行われていたことでその筋に知られており、ほぼ同じ時期に水路工事も行われていたことを感慨深く(かどうかは見る人次第だが)眺めることができる。

管理者赤城大沼用水土地改良区
所在地群馬県前橋市富士見町赤城山
訪問日2015-10-18
全景写真
2011(平成23)年3月4日に除幕された案内看板。
第一円筒分水は3方向に分水している。比率は目分量で(1):(2):(3)=4:1:1ぐらい。(1)が第二円筒分水へ向かって流れてゆく。
伏流水のように澄んでいる。もちろん伏流水ではない。
第一円筒分水の700mほど下流に第二円筒分水がある。
第二円筒分水全景。石碑は「隋道改修記念碑」、土地改良区理事長であり、後に第15代富士見村長を務めた品川正衛氏の名が刻まれている。
通水時期が外れているためか、片方はブロックが並べられていたが、分水比率は1:1だろう。
逆流しているように見えるのは、用水路の先で閉めているからなのか、詰まっているのか。