しいの木橋(千里D-E歩道橋)

日本最初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンは1958(昭和33)年に大阪府が開発を決定、1961(昭和36)年に起工式、1962(昭和37)年9月にC住区(佐竹台)で入居が始まった。E住区(竹見台)・D住区(桃山台)は千里ニュータウンの中では少し遅れて1967(昭和43)年5月に入居が始まった。ニュータウンの南西に造成された住宅団地の中心部を府道が東西に貫く。北側がE住区(竹見台)、南側がD住区(桃山台)で、D住区とE住区を連絡する歩道橋と府道をつなぐ階段が螺旋を描いている。

今となってはどこにでもありそうな遊歩道の歩道橋だが、丘陵を一気に切り拓いて突如として出現した街の近未来的風景ということで大いに着目されたのだろうか。様々な資料にこの歩道橋が登場する。建設当時の写真と比較すると、耐震補強と思われる橋脚の変化や目隠し板や高欄等の付属物が更新されていることに気付くが、歩道橋自体は変わっていない。蹴上げと踏板が一体化された扇形のプレキャストセグメントをずらして組み上げる構造にすることで工期短縮を図ったのだろう。

構造3径間連続W型桁橋
路線市道竹見桃山専用2号線
(一般府道豊中摂津線/市道竹見台1号線/市道桃山台4号線)
所在地大阪府吹田市竹見台3丁目/同 桃山台2丁目
回転度630度(1¾回転)+630度(1¾回転)
完成時期1967(昭和42)年4月
実走行日2023-12-28
全景写真
しいの木橋(千里D-E歩道橋)の北側螺旋階段拡大する
しいの木橋(千里D-E歩道橋)の北側螺旋階段。
『鐵骨橋梁年鑑(1968年)』 [ 元ファイル閲覧 注意!ファイルサイズ174MB ] に掲載された しいの木橋(千里D-E歩道橋)、1枚上の写真とほぼ同じ位置から撮影されている。現代の橋脚との違いに注目したい。
『千里ニュータウンの建設』(1970(昭和45)年3月1日大阪府発行)に掲載された しいの木橋(千里D-E歩道橋)。現在の目隠し板は更新されたものとわかる。
橋上から北側螺旋階段を俯瞰する。
しいの木橋(千里D-E歩道橋)の南側螺旋階段拡大する
南側螺旋階段。構造は北側と同じだ。
しいの木橋(千里D-E歩道橋)の南側螺旋階段を橋上から俯瞰拡大する
南側螺旋階段を橋上から俯瞰する。
しいの木橋南詰の橋名板。北詰にもある。このような場所に自転車歩行者専用道路の規制標識は要らんだろうと思いがちだが、1970年代後半にはノーヘルメットのロードパルが走り回っていたに違いない。乗っていたのは悪ガキ中学生ではなく、30歳代の御婦人だ。

建設当時は「D-E歩道橋」という仮称だったことが橋歴板でも確認できる。

参考資料