初回記事公開:2003年8月23日 記事全面書換:2017年3月5日
のの字の代表的存在と言える。回りすぎてのの字を描いておらず、コイルバネのような形状になっている。橋の途中に設けられているバス停の名前は「河津七滝ループ橋」で、このように呼ばれることもあるようだ。
1981(昭和56)年3月竣工・開通。
竣工当時は県道13号(主要地方道修善寺下田線)であったが、その後1982年4月に国道指定されている。
全長1064.1m、うち土工区間65.4m、橋長998.7m、幅員9m、直径80mの二重螺旋で標高差71.9m(螺旋部の標高差は44.9m)を一気に駆け上がる仕組みである。小径であるが故に橋梁区間の速度は30km/hに制限され、駐停車禁止になっている。
河津桜まつりは1981年から開催されているので、七滝高架橋と同じ歴史を歩んでいると言える。
なぜこの橋が作られたか。
1978(昭和53)年1月14日(土)に発生した伊豆大島近海の地震により、この梨本地内の随所で土砂崩れが発生し、当時の県道13号も崩壊、通行中であった東海バス1台が約850m3の崩土に埋没することとなり、3名の犠牲者が発生した。その災害復旧はただちに行われたものの、恒久的な対策として依然土砂崩れのリスクが大きい地点を迂回することになったらしい。新旧の空中写真を比較すると、下田方面から北上した際に急カーブだった地点からショートカットするように橋を架けていることがわかる。
そのような災害対策道路だったはずの国道414号であるが、いまとなっては時代遅れなのか、伊豆半島道路ネットワーク会議や国交省中部地方整備局道路部の会議等において「幅員狭隘、平面および縦断線形不良等の未改良区間が伊豆半島内の各所に存在」する一例として七滝高架橋が挙げられるようになっている。残された賞味期限は短いかも知れない。
コイルバネのような形状の車道ループ(二重以上の同径螺旋)橋は、七滝高架橋を含め日本国内に5件存在する。いずれもユニークな特徴を持つので、ループ橋ファンは理解しておきたい。
路線 | 国道414号 |
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所在地 | 静岡県賀茂郡河津町梨本 |
回転度 | 720度 |
完成時期 | 1981年3月 |
実走行日 | 2003-08-23 |
全景写真 | |
2003年8月23日初訪ユニークな形状の緑の橋脚。 どの角度の写真もガイドブック等で見たことがある。それほど有名なループ橋だ。 のの字の途中にバス停がある。ループ橋観光のための停留所というわけではなく、本来の観光資源である河津七滝への最寄りのバス停だ。ところで、橋梁部分は駐停車禁止じゃないんだっけ? 1960~70年代、「径」をこのように略すことが流行したことを証言する貴重な標識。 2017年2月25日再訪拡大する 巨大な七滝高架橋を見上げる。大きすぎて、魚眼レンズでも下から全景をおさめるのは難しい。 拡大する 河津桜と七滝高架橋。河津桜は2月中旬~下旬が見頃だが、ループ橋を含む国道414号は大渋滞になることが多い。 拡大する 縦断面が「A」の字を描く橋脚は七滝高架橋の特徴だ。 ループ橋の南側の旧道分岐。右側が旧道、左側はループ橋下を経由して七滝方面へのアクセス路。写真の外側になるが、さらに左側にある道路がループ橋へつながる。 七滝高架橋完成に伴いここで旧道が途切れ、この先は廃道になっている。 旧道の端から廃道化した区間を眺める。傍らに据えられている菩薩は、1978(昭和53)年1月の「伊豆大島近海の地震」による土砂崩れに巻き込まれた東海バス乗客の慰霊碑だ。ここが廃道になった後の1982(昭和57)年1月14日、つまり事故の4年後の祥月命日に建立されている。 廃道部分にズーム。土留のH型鋼が何十本も並ぶ。路盤跡は意外にフラットで、冬場なら通れそうだ。 廃道化区間を北側の現道分岐から眺める。こちらは少し崩れた様子だが、通行に大きな支障はなさそう。 拡大する 旧道と現道の北側分岐から眺める七滝高架橋。 |
空中写真で比較:スライダーを左右に動かしてみてください
左:地震発生から48日後、1978年3月3日国土地理院撮影の空中写真。土砂は既に取り除かれているように見える。
右:地震発生から35年後、2013年3月6日国土地理院撮影の空中写真。旧道ルートはかろうじて確認できる。
旧道ルートを青線で、土砂崩れ地点を赤丸で示す。