2017年10月23日訪問 [Google Maps] [地理院地図]
さっぽろテレビ塔近く、創成川に架かる南1条通りの橋。
1869(明治2)年、大友堀に架けられた丸太橋が最初とされるが、1871(明治4)年に大友堀の拡幅工事に伴って手摺付きの橋が架けられた。「始成橋」が提案されたが、判官の岩村通俊が「創成橋」に修正したと言われる。
1874(明治7)年、創成橋の下を流れる川ということで大友堀は創成川に改名された。川名の由来が橋名というのは主客転倒も甚だしいが、今となってはどうでもよい話だ。
1909(明治42)年に洪水により流失したため、1910(明治43)年、単径間石造アーチ橋に架け替えられた。
架けられた当初は橋長7.33m、幅員13.25m、径間6.38m、拱矢1.05mという、幅広・扁平な橋であった。札幌市電の祖である馬車鉄道の通行を念頭に置いた仕様らしい。
馬車鉄道は建築用石材として需要が高かった「札幌軟石」の輸送線として敷設されており、創成橋を構成する石もまた札幌軟石とのこと。輪石は一重、壁石は布積みである。
創成川アンダーパス連続化事業のため2002(平成14)年に一度解体され、2010(平成22)年に復元された。それを解説するプレートが傍らに設置されている。
解体整備により、橋台起拱部付近とアーチ内部に中詰として無筋コンクリートが打たれていることが判明、単純な石造アーチではなく「石造中詰コンクリートアーチ橋」という、石造アーチからRCアーチへ移り変わってゆく時代に建造された形式とのこと。東京の日本橋も同じ形式だそうだ。
現在の橋長10.8m、幅員31.1m。
2010年土木学会選奨土木遺産のプレート
2024年9月8日訪問
橋の下を覗く行為はまるで女性のスカートの中を覗くようで、このような街中での実行はとても恥ずかしい。そんなことを考えているのは橋梁ファンだけだと信じて堂々と覗き込む。(結局やるんかい!)
するとどうだろう、幅員方向の両端は輪石が積まれているが、中央部はコンクリートだ。当初の幅員13.25mが31.1mになったのだから、間の17.85mの施工が気になるところであったが、石を積まずに堂々と後年の施工であると示したわけだ。
創成橋西詰の広場には、札幌開拓の先駆者であり創成川の原形を開鑿した大友亀太郎の銅像と、初代創成橋の車止め・先代創成橋の親柱が置かれている。