歌越別橋(北海道初山別村/遠別町)

2025年7月16日訪問 [Google Maps]    [地理院地図]
オタコシベツ川に架かる町村道橋。遠別町と初山別村の境界にあり、現在の管理者は初山別村である。
1963(昭和38)年8月完成、橋長25mの木・コンクリート合成桁橋3連。幅員3m、制限荷重1.5t。
なお、同名の国道橋が100m上流に架けられている。

2022(令和04)年12月に初山別村が作成した橋梁長寿命化修繕計画(改定)において

(1) 健全性区分Ⅳ(緊急措置)の橋梁である歌越別橋、紅橋の2橋については、5年以内に集約化撤去を目指し240,000千円の費用縮減を目指す。
(2) 歌越別橋のコスト縮減効果は、撤去費用35,000千円に対し、架替え費用は152,000千円となり、117,000千円のコスト縮減が期待できる。また、紅橋のコスト縮減効果は(以下略)

と発表され、2027年度までに撤去される見込みが判明した。この発表の数年前から通行止め措置になっていた。

横を通るのはこれが最後かも知れない、と思って立ち寄ってみた。

歌越別橋全景。何度も通っているのに、じっくり見るのはこれは初めて。

中央径間に寄ってみる。木の行桁に木の添桁で補強している。木・コンクリート合成桁橋の特色「欠け込み構造」(木の主桁上辺接合面を鋸状に加工して耐剪断性を高める)はこの視点から見えない。

橋脚梁にコンクリート床版が直接載っていて、そのコンクリート床版は径間ごとに分離しているように見える。こりゃ3径間桁橋じゃなくて桁橋3連かな。道路線形や架設時期から旧国道橋だと思い込んでいたが、当時の国道232号は未成区間・未改良区間が多くて交通需要がなかったとしても、どう見ても町村道だ。

木・コンクリート合成桁橋の歴史や構造については先行研究があるので、当記事ではこの橋がどんな経緯で何のために架けられたのか探ってゆく。

  1. まず、道路の来歴を整理する。(出典:参考資料1)
    • 1907(明治40)年05月:仮定県道西海岸線
    • 1920(大正09)年04月:地方費道4号札幌稚内線
    • 1953(昭和28)年05月:二級国道232号稚内留萠線
    • 1965(昭和40)年04月:一般国道232号
  2. 参考資料2には次の情報があった。
    • 1920(大正09)年04月、初山別村道北海岸線は遠別村との境界が無名橋である旨の路線認定調書
    • 1920(大正09)年08月、初山別村道北海岸線歌越別橋の管理は遠別村とする初山別村告示

1.と2.の情報を勘案すると、少なくとも大正9年8月時点でこの付近の「地方費道4号札幌稚内線」は通過地を記載した文書表現にとどまり、初山別村道北海岸線を地方費道4号札幌稚内線に昇格する決定はなかったと考えられる。大正時代なら陸路よりも海路のほうが合理的だった時代背景もある。

  1. 参考資料3で旧橋の架設時期が判明。ただし純然たる木橋だったはずで、腐朽や流失で頻繁に補修されていたと想像する。

    歌越別橋は初め伊勢福太郎氏によって造られ、明治43年頃は、現在の位置から約100m上流にあったのが、大正12年に現在地にかけられたものであった。

  2. 参考資料4に「地方費道4号札幌稚内線 歌越別橋 延長24m幅員4m」の記載がある。この頃の地図を見るとオタコシベツ川に架かる橋はひとつだ。依然、木橋だったことは想像に難くない。
  3. 一方、現国道の歌越別橋の来歴を調べる。
    • 1962(昭和37)年 歌越別橋完成(PCT桁橋/L=30.8m W=7m)
    • 2015(平成27)年11月 歌越別橋完成(ポステンPCT桁橋/L=31m W=8.5m)
  4. 以上の情報を整理する。現国道の歌越別橋付近を[上流側]、木・コンクリート合成桁橋の歌越別橋付近を[下流側]とする。
    • 明治時代末期:[上流側]に架設
    • 1923(大正12)年:[下流側]に町村道または地方費道の歌越別橋を架設(ただし木橋)
    • 1953(昭和28)年:[下流側]歌越別橋を含む前後の道路を国道指定
    • 1962(昭和37)年:[上流側]に国道の歌越別橋完成
    • 1963(昭和38)年:[下流側]に木・コンクリート合成桁橋完成
    • 2015(平成27)年:[上流側]の歌越別橋架替え

つまり、町村道の先代・歌越別橋は国道だった時期があるが、木・コンクリート合成桁橋が架けられたときは既に上流側に国道の先代・歌越別橋が架けられていたのだ。

1955年と1977年の空中写真でオタコシベツ川河口付近の変遷を見る。

オタコシベツ川河口の両岸に形成されていた集落は自治体を跨いで一体化しており、通過交通から分離した生活道路としての歌越別橋が必要とされたのだろう。生活道路なので活荷重は大きなものでなくてよく、低予算で架設できる木・コンクリート合成桁橋が選ばれたと想像してみる。

ところで、1955年の河口付近に4基の橋が見える。橋がまっすぐなので舟橋とは考えにくい。漁民の勝手橋だろうが、30~50m規模の勝手橋とは豪快だ。

    参考資料

  1. 北海道道路史(1990年6月/北海道道路史調査会)
  2. 初山別村史資料 第1編(1969年3月/初山別村史編集室 編)
  3. 遠別町史(1957年8月/遠別町)
  4. 北海道開発事業実施概要 昭和24年度(1951年/北海道開発局)
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