2024年11月4日訪問 [Google Maps] [地理院地図]
利根川水系吾妻川に架かる人道橋。
2016(平成28)年9月完成、橋長43mの単径間鋼片刎橋(桁橋)。
刎橋とは、急流或いは深い谷底のため橋脚の建設が困難な地において、岸に桔木を横向きに差し込み、その上に桔木を配すことを繰り返して徐々に支間を狭めて、短い行桁でも架橋する下部工の形式である。明治以前は「猿橋」と「刎橋」は同義語であった。
江戸時代に造られた石造刎橋(山口県を中心に西日本に残る:藤田石橋等)はあるが、近代的橋梁としては山梨県大月市の猿橋とこの群馬県東吾妻町の猿橋(いずれも鋼主構)だけ※と見られ、片刎橋は本橋が国内唯一である。
高欄や橋面は木造、主構も木装が施され、木橋の雰囲気たっぷり。かつて架けられていた同名の橋を参考に設計したとのこと。昔の橋も刎橋だったということか?
鋼製桔木の点検を容易にするためだろうか、木装で完全に覆っているわけではない。
かつての猿橋の情報を探ってみたところ 群馬縣吾妻郡誌 追録 第一輯 に以下の記述があったが、橋種に関する情報には辿り着けていない。
五、吾妻峡新道の開鑿
道陸神峠は其のすぐ西に連なる久森峠と共に行旅の難所であつたから、(中略)
吾妻峡右岸即ち南岸の崖腹を注視すると、細逕の痕跡が斷續して居る。一昨秋、吾妻山岳會員の中、ロツクライミングに多少の心得のある連中が、此の細逕の痕跡を辿り、處々ザイルを使用して、可なりの危險と困難とを冒して三島から川原湯までの崖腹舊道の通過に成功した。昔は右岸の難處に桟橋や梯子を架して僅に通れる程度の危險な通路を作つた事もあつたのである。吾妻峡東口の横谷部落に、つい近年まで右岸へ渡る橋があつて之を猿橋と云つた。大昔の猿橋の位置は更に上流數百米、道陸神峠路の一旦下つた處へ連絡するやうに架けてあつたので、右岸に猿橋といふ地名が殘つて居る。

出典:群馬縣吾妻郡誌 追録 第一輯(1936年3月/群馬県吾妻教育会)

