青地樋(平野川/了意川)の石橋群(大阪府柏原市)

2025年6月15日訪問

大和川は柏原から西進するよう18世紀初頭に付け替えられた。その付け替え地点付近で取水し、旧大和川流域(付け替え前の川筋)に開発された新田に供給する用水のひとつが青地樋(あおじひ/あおちひ)である。農業用水だけでなくニ十石積み船も行き交う運河であったが明治時代には鉄道開通や産業構造の変化等により貨客が減少、明治中期には運航されなくなったらしい。

舟運がなくなることによって橋を架けられるようになったのか、架橋によって舟運が制約を受けるようになったのかわからないが、青地樋に残る石橋は柏原市内に集中しており、その多くは明治~大正時代に架設されたようだ。

石橋や青地樋ゆかりの地を訪ねて上流から歩いてみた。

青地樋改修記念碑と青地樋上流の樋門

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青地井手口土地改良区事務所の横に設置されている青地樋改修記念碑。1982(昭和57)年5月に建立されたものだが、どんな改修を記念したものかわからぬ。

最上流に位置する樋門(おそらく分水工)。現在は鋼製スライドゲートに置き換えられているが、石材樋門は残されている。かつては木材の止水板を差し込んでいたのだろう。西に向かって青地樋の支流が延びている。

向こう側、大和川堤防の手前に1932(昭和7)年完成のRCアーチ橋である樋門橋が見える。そしてここは大和川水系から淀川水系へ変わる場所。取水堰と用水の名としては青地樋(青地井手)、河川名としては平野川、柏原市~八尾市区間の呼称が了意川とのこと。

高畔橋

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樋門の30m下流に架かる橋。たかあぜはし と読む。1915(大正4)年完成、橋長4.3mの2径間石造桁橋。

左岸下流側をコンクリートで拡幅している。上流側にガス管、下流側に水道管が添架されている。

自家用橋

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高畔橋の下流370mに架かる橋。周辺の住戸はいずれも近年に建て替えられたようで、どのお宅の自家用橋も真新しいコンクリートなのだが、このお宅だけは石材2本+コンクリートの橋を残していらっしゃる。

ただしH鋼で補強済み。ご先祖を偲んで残されているのだろうか。

柏原舟ふなだまり跡地

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青地樋取水堰から850m、柏原小学校近くにある公園。平野川舟運の最上流地点で荷揚げ場だったそうだ。

・・・の近くに、なかなか豪快な河川占用物件があった。背後の住戸は本瓦葺きで江戸時代の築に見える。かつて平野川舟運管理に関係していたお宅だろうか。

三田家住宅と寺田家住宅

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青地樋(平野川/了意川)の東側に奈良街道(渋川道/龍田越)が通じており、街道に面して柏原の豪農・豪商の屋敷がある。
三田家住宅 1768(明和5)年築 国指定重要文化財(建造物)

寺田家住宅 国登録有形文化財(建造物)

高富橋

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1919(大正8)年6月8日完成、橋長6.1mの2径間石造桁橋。たかとみばし と読む。

三田家住宅の裏側に位置する。他の橋に比べて格段の幅員で、当時の村内幹線道路だったことがうかがえる。1本の桁は失われて(損傷して?)コンクリート桁に置き換えられている。

橋脚は水切りを兼ねて45度ひねって配置されている。下流側もひねっているのは見映えを揃えたかったのだろうか。そもそも水切りが必要な激流ではないからなあ。

水繰木のような車止めがモルタルで取り付けられていたようだがほとんど脱落し、残るは1個のみ。

善兵橋

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高富橋の200m下流に架かる橋。完成時期不明、橋長4.2mの2径間石造桁橋。ぜんべえはし と読む。

アスファルトの下には5本の石桁が並んでいるはずだ。添架されているのは、緑はガス管だと思うが黒い管はなんだろう?

桁の側面に何かの文字が刻まれている。「明治■■年五月」「■■間橋」「石工■■■■」は読めたが。尋ねるとすれば柏原市文化財課か?道路河川管理課か?

古屋橋

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善兵橋の下流80mに架かる橋。完成時期不明、橋長6mの2径間コンクリート造桁橋。

コンクリートは鉄筋か?無筋か?外見だけでは判別できない。素人じゃ非破壊検査は無理。

石材をコンクリートでコーティングしているとは思えない。コンクリートが一般的になってきた大正時代後半に、石橋の技術で架設されたと見る。

青地樋中流の樋門

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古屋橋から180mで西方に転じ、柏原市と八尾市の境界を流下する。その屈曲点付近の様子。なんと木造の土留めだけ。昭和中期以前の了意川が動態保存されている。

古屋橋から640m下流に残る石造の樋門。写真左に余水吐があるがコンクリート製だ。
国道170号大阪外環状線より西側は戦前に建設された阪神飛行学校・大正陸軍飛行場により平野川が付け替えられており、見るものなしと判断してここで離脱。

西村市郎右衛門碑

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志紀跨線橋の螺旋階段歩道橋に立ち寄ったところ、記念碑のようなものがある。普段なら軽くスルーすることが多いのだが、その玉垣に青地井手口土地改良区の名が刻まれているので思わず見入ってしまった。

大和川付け替えで旧大和川流域は水不足に苦しんだ。1714(正徳4)年、弓削村(碑の300m西にある集落)の庄屋・西村市郎右衛門は独断で新大和川の堤防を切り水を引いて田畑を救ったが幕府に捕えられ獄死。その功績を讃えて1916(大正5)年にこの顕彰碑が建立されたそうで、青地樋散策の締めくくりに最適な場所だった。

    参考資料

  1. 柏原市史 第五巻 史料編Ⅱ(1971年12月/柏原市役所)
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