2018年10月20日訪問 [Google Maps] [地理院地図]
揖斐川水系根尾川、1929(昭和4)年に建設された金原ダムの前に架かる市道橋。
1967(昭和42)年3月完成、橋長40.8mの鋼桁橋。方杖ラーメン橋に見えるが、何かがおかしい。
金原ダム魚道で触れているとおり、先代は1929(昭和4)年に架けられた吊橋だった。なぜ橋齢38年の吊橋を鋼桁橋にしたのか。魚道設置がその理由ではないか?と仮説を持った。
金原ダムと高尾橋の位置関係。
架け替えの経緯を根尾村史(1980年8月)で探してみた。
県道上大須長瀬大野線(西道)高尾地内村山に架かっている橋も高尾橋と名づけられているので、これと区別するため土地の人はこの橋を「平野橋」と呼んでいるが、正しくは高尾橋である。
明治14年の町村略誌には
『雲帯橋、根尾川岸大野郡高尾村字菅野ヨリ本巣郡平野村字村前ヘ架ス板橋、長サ一八間巾九尺修理官費』
と記載されているところから、昔は「雲帯橋」とも呼ばれていたようである。
又前記略誌に見られるように、明治14年の頃既に巾9尺の板橋であったことからしても主要橋であることがわかる。其の後吊橋に架け替えられたが木橋であるため腐朽度しげく、ある時は荷物を満載したトラックが橋もろとも川底に転落し、悲惨な事故を起こしたこともあった。終戦後などは、橋桁を鋼材に替えるなどして何度となく修理が施された。その度に経費の捻出には困難をきわめた。昭和41年地元有力者や住民の切なる要望が功を奏し、永久橋に架け替える計画がなされ、翌42年に総工費700万円を投じ、橋長40.8m巾員4mの立派な永久橋の竣工をみた。この時の地元民のよろこびようは到底筆舌の及ぶところではない。
同史には「昭和35年当時の高尾橋」としてトラス補剛桁・RC主塔の吊橋の写真が掲載されている。1929(昭和4)年に架設された先代である。
現橋架設当初は鋼桁橋だったが後の改修により方杖ラーメン橋のようになった可能性が極めて高いと思うので、細部を拡大して見てみよう。(PCはマウスオーバー、スマホは画像タッチで画像切替)
- 方杖(支材)と主桁の固定方法が甘い。方杖(支材)が主桁に固定されているとは言え、構造的に剛接合状態にあるのか素人には判断できない。具体的な改修施工時期を調査したが閲覧できる範囲に記録がなく断念した。
- 左岸側方杖の橋台が2段で施工されているので下側は吊橋時代の主塔橋台だと考えていたが、根尾村史に掲載されていた先代吊橋の写真で否定された。
ということで、高尾橋西詰の擁壁に埋め込まれている碑石は現在の高尾橋の話であった。昭和42年という時期にわずか700万円で橋を架けられるはずがない、先代吊橋の費用だとと思い込んでいた。