2024年9月7日訪問 [Google Maps] [地理院地図]
日本の石橋を守る会の石橋リストを眺めていたところ、北海道の先頭に「旧第二五ノ戸橋」がある。
ネットで軽く探してみたけれど、先行レポートはない。どんな橋か俄然興味が湧く。いまも残っているのだろうか。
第二五ノ戸橋は現在もある。しかし、スクラップ&ビルドが基本の北海道なので、旧第二五ノ戸橋が残されているとしてもすぐ傍ではないだろう。地図を見れば石狩川や豊平川が激しく蛇行して石狩平野を作り上げているエリアなので、昭和前期の開拓真っ只中の時代なら河川流路は現在とは全く違うはずだ。
机上調査
とりあえず地理院地図の年代別写真を開く。まずは現代の写真で橋梁の位置確認。
第二五ノ戸橋は伏籠川に架かる橋だ。ターゲットの旧第二五ノ戸橋も伏籠川に架かっていると考えるのが自然だろう。
次に架橋直後の写真を見る。
橋らしきものが4つ見えている。石橋なのだからそれなりの重量物を通す想定があるので、幹線・準幹線だ。すると(a)か(d)に絞られる。(d)は篠路新川という別の川なので、この橋ではないだろう。
つまり、旧第二五ノ戸橋は(a)で確定だ。
そこで、1961年の写真と2020年の写真を重ねてみる。(中央のスライダーを左右にずらして比較)
まあ、そんな苦労をしなくても全国道路施設点検データベースで一発特定できるけど。かつては過去の空中写真と見比べたり地図の等高線から地形を想像して、架橋場所を推定するしか策がなかったという昔話である。
旧第二五ノ戸橋の位置がわかったので、現調に行く。
現場レポート
ええっ?ここを左に入るんか?他人様の敷地じゃないの?
安心してください、市道大野地幹線です。右にカーブしているのは市道雁来篠路連絡線。
石橋がある雰囲気ナッシング!
さすが北海道、石橋を予感させる空気が本州以南とまったく違うぞ。
道の向こうに大きなコンクリートブロックが置かれている。市道はそこまでなのだろう。
ということは、橋はそのすぐ手前にあるはずだ。
あたりの草むらをごそごそかき分けて路盤をチェックすると、石発見。ここだ。
河床へ下りてみる。
1949(昭和24)年完成、橋長4.6m、幅員4.3mの単径間石造アーチ橋。旧第二五ノ戸橋の現存確認。
堆積しているものから年代を特定できる材料はわずかながら、30年ぐらい前には既にこのような状態になっていたと見てよさそう。
親柱・高欄・地覆なし(または喪失)。輪石は一重、壁石は布積み(練積み)。練材はコンクリートかモルタルか判別できず。石材は札幌軟石か?
壁石にずれが生じているが、橋体崩壊の危険は少ないように見える。
背面地盤から木が生えていて法面崩壊が懸念される。背面地盤の擁壁は橋とは異なる石材の空積み。
要石に浮きが出ているようだが気のせいか?
本来の河床はもっと低いだろうからこの状態で径間や拱矢を測定することは正確さに欠けるが、測定結果から推定すれば高さ1.6m、径間3.4m、拱矢1.2mぐらいだろうか。
あとがき
ところで、「第二五ノ戸橋」があるということは「第一五ノ戸橋」はあるのだろうか。
そもそも、日本の石橋を守る会は旧第二五ノ戸橋が石橋である情報をどこから入手したのだろうか。
北海道道路誌(大正14年6月/北海道庁)には函館の白川橋に関する記述しかなく、北海道道路史(平成2年6月/北海道道路史調査会)には以下の記述がある。
北海道には石造橋の歴史的背景および環境がなかったとみえて、石橋はせいぜい人馬用の小支間の橋が幾つか架けられたようであり、札幌の郊外には昭和40年代までは残っていたようであるが、今ではほとんど見あたらなくなった。
また、平成27年度札幌市脆弱性評価基礎調査業務報告書(平成27年8月/日本データサービス株式会社)※ には以下の記述がある。
札幌市内の橋梁は、鋼橋428橋、コンクリート橋953橋、石橋2橋、木橋3橋で、合計1,387橋である(平成21年4月時点)。
※ 札幌市 > 市政情報 > 政策・企画・行政運営 > まちづくり基礎調査・研究費 > 研究成果(平成27年度) > 札幌市脆弱性評価基礎調査業務