菅橋(長野県木祖村)

2024年11月3日訪問 [Google Maps]    [地理院地図]
木曽川に架かる元村道橋。すげばし と読む。
1933(昭和8)年10月完成、橋長18.8mの単径間RCアーチ橋。
菅村(すげむら:町村制の施行により明治22年に木祖村になる)と中山道を結ぶ、村にとっては重要な路線。歴史は古く、明治初期の地図で架橋を確認できる。

  • 菅村に2軒の名医・民蘇堂野中医院と奥原内科医院
  • 1929年10月に起きた世界恐慌の影響(生糸輸出の減少)、1930年の国内豊作による米価下落等への対策として政府が実施した農山漁村経済更生運動
  • 1931年、藪原スキー場(現・やぶはら高原スキー場)開業

等が永久橋架橋の機運になったとのこと。民蘇堂野中医院の民蘇堂資料館に架橋の社会的背景が語られている。

名医を求めて県内外から多数の患者が菅村に来たことは木祖村藪原の製薬会社・日野製薬のウェブサイト(日野製薬ブログ 2007年6月15日)にも記述されている。

江戸時代に薮原宿に勝澤、宮川、小木曽村に深澤、菅村に野中、奥原と実に5人の医師がいたようです。民蘇堂野中眼科と「菅の虫封じ」と知られていた奥原医院には長野・愛知・岐阜の近県はもとより遠く北海道や九州から病人が来ていたということが昭和十年三月発行の文芸春秋の「仁のわざ」の中で紹介されています。

底面積の半分以上が壁石からはみ出す親柱。有効幅員を最大限確保する意図だろうが、だったら親柱を小さくすればいいのに、というのは現代の価値観だろうか。
RC充腹アーチ橋は拱環を打設した後に壁石を打つので石橋に似た外観になるが、要石状の装飾を付けるのは まじない かも知れない。

2011年土木学会選奨土木遺産

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