ループ橋

上関大橋

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昭和28年に制定された離島振興法に基づく離島振興事業により瀬戸内海に建設された橋の一端がほぼのの字を描いている。
橋の名は上関大橋(かみのせきおおはし)、1969(昭和44)年6月完成の3径間連続有ヒンジPCラーメン箱桁橋。全長220m、支間長140m。

途中で別の県道が分岐しているが、その交差点に信号はないし本線は「元来た道を跨いで」いる。八島・祝島を連絡する渡船や漁船等の船舶を通すために海上のクリアランスを確保した結果、陸側に無理が生じて「のの字」を描かねばならないという、瀬戸内の島々にありがちな構造と言えるだろう。

防長三関のひとつである上関は天然の良港であったことから、参勤交代時の九州諸大名、北前船、朝鮮通信使等の寄港地として栄えた。明治以後、海上交通の発展に伴い寄港地としての役割はほぼなくなったが、水産業の拠点として重点が置かれている。

1958(昭和33)年に本土側の室津村を編入して上関町が発足したが、町役場は島(長島)に置かれた。上関大橋架橋以前は町営と民営の渡船が1日52往復運航されていたという。

上関大橋が広く知られるようになったのは、2020(令和2)年11月14日に発生した路面段差による事故だろう。

両岸に設けられた橋脚を支軸にした主桁を中央のヒンジで結合するドゥルックバンド構造で、自重による桁の浮き上がりを抑止するために陸側端部をPC鋼棒で橋台に固定する。このPC鋼棒が破断したことが事故の直接の原因だったとのこと。

事故に至る仕組みや復旧工事の詳細は参考資料2を参照。

一連の復旧工事は2022年3月25日に完了した。

路線県道23号光上関線
所在地山口県熊毛郡上関町室津
回転度240度
完成時期1969(昭和44)年6月
実走行日2004年08月28日

(2004年8月28日撮影)
長島の砲台跡から眺める上関大橋とのの字長島の砲台跡から眺める上関大橋とのの字。

上関大橋上から眺めるのの字上関大橋上から眺めるのの字。残念ながらループしている様子はよく見えない。


(2025年4月30日撮影)
長島の砲台跡から眺める上関大橋。1枚目の写真と同じ場所から撮影したのだが、木々の成長著しく、橋さえよく見えなくなっている。

上関大橋空撮斯くなる上はドローンに登場いただくしかあるまい。青い海に町営渡船が描く波が美しい。

2020年に発生した事故復旧は桁と橋台を接続するグラウンドアンカーの強化が主策のようだが、それに加えてカーボンシートの貼付と外ケーブルによる補強工事も行われた。この写真は室津(本土)側の橋台。

長島側の橋台。

経年変化を測定しているのだろうか、センサーケーブルらしきものが這い回っている。

貨物船も通る。ガット船日幸丸(総トン数358トン、全長60m)。

建設工事の概要が刻まれた碑が橋の南詰に置かれている。島が橋でつながるのは嬉しいことだという気持ちが溢れている。

    参考資料

  1. しま 第63号(1969年9月/全国離島振興協議会)
  2. 日経コンストラクション 2021年12月13日号「時事・プロジェクト:桁端部で段差生じた上関大橋を本復旧」
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