新4号バイパス利根川大橋の北、配電盤団地と呼ばれるエリアの住宅団地内に4枝のロータリー交差点がある。
「久能せせらぎ行政区」の掲示板があって、割とよいセンスの名称なので近年の分譲地だろうと思い込んでいたが違った。
例 群馬県館林市 埼玉県杉戸町 栃木県さくら市 茨城県かすみがうら市
正式名称は配電盤茨城団地、現在は「テクノパーク古河」と呼ばれている。高度経済成長期に東京のメーカーが集団で移転・建設したもので、茨城県における中小企業高度化事業(集団化)の第1号らしい。
昭和30年代後半、東京に拠点を置いていた配電盤メーカーは、需要拡大に対応する生産能力増強が困難(工場の狭隘)、都心部における公害・騒音規制の強化、地価の高騰等の深刻な問題に直面していた。この状況を打開するため、1962(昭和37)年に東京の配電盤製造および関連業者21社が配電盤茨城団地協同組合を設立、「集団で地方へ移転し、理想的な工業団地を作る」構想実現に動いた。
単なる工場の集まりではなく、共同施設(食堂、厚生施設、共同受電など)を持つ協同組合方式を採用することで、国の助成(中小企業高度化資金)を受ける計画とした。
移転先の選定にあたっては東京商工会議所に相談して、国道4号や東北本線が通っていて製品輸送や連絡に便利であり、平坦でまとまった土地(農地)を確保でき、当時の総和村が工場誘致に非常に熱心であったことから、この地に決定した。元々は関東ローム層とその侵食によって形成された、典型的な茨城県の土地である。要は農業生産性があまり高くない(当時はイモしか作れない)土地だったからだろう。
1962(昭和37)年12月に造成着工、1964(昭和39)年10月の東京オリンピック開催直前に主要施設が完成した。工場だけでなく、従業員のほとんどが東京から移り住むため、近隣(久能・柳橋地区など)に従業員用の住宅団地が併せて整備された。そのひとつがここ、配電盤住宅団地である。
住宅団地の中央に円形交差点を配置するのは誰のアイデアか記録に残っていないが、1960年前後は日本におけるロータリー交差点建設第二次ブームにあたり、時流に乗っていたと言える。
交差点情報整理
| 路線 | 市道総和3425号線/市道総和3710号線/市道総和3708号線/市道総和3711号線 |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県古河市久能 [Google Maps] [地理院地図] [Mapion] |
| 完成時期 | 1963(昭和38)年 | 実走行日 | 2025年11月03日 |
現調レポート
久能せせらぎ(配電盤住宅団地)ロータリーを北側から眺める。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は南北の接続路にのみ設置されている。
中央島に北側から接近する。環道外径は約42m、中央島直径は29m。
東側から眺める。この接続路は狭い。幅員4m。
南側から眺める。この写真には写っていないが、中央島には防火水槽が設置されている。中央島は公園のはずだが、少々荒れていた。
西側から。いずれの接続路も両側に住戸の塀が立ち見通し不良だからか、両開きのミラーが設置されている。
手書き感あふれる視線誘導標。公安委員会による一時停止の規制はあるものの、一方通行や指定方向外進行禁止の規制はない。関係者しか通行しない道路だから今まではそれでよかったのかも知れないが、世代が変わりつつあるんだからそろそろラウンドアバウトに改良してはどうだろう?
「徐行」の路面ペイント。ここをラウンドアバウトに指定するなら、中央島を少し小さくして環道外縁に歩道を設けるほうがいいだろう。もっとも、ラウンドアバウトに指定すると中央島を公園として使うことはできない。それは地域住民の賛同を得られないかも知れない。
- 参考資料
- 子ども日本風土記8 茨城(1970年10月/日本作文の会)
- 総和町史 通史編 近代・現代(2005年3月/総和町史編さん委員会)

