螺旋階段歩道橋

金久中前歩道橋

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奄美大島にある横断歩道橋3基のうち1基、金久中学校の校舎と運動場を連絡する横断歩道橋の両端昇降階段がループしている。

急峻な海岸が多い奄美大島、その中心地である名瀬は埋立で市街地を拡大してきた。金久中学校は山肌のわずかな平地に1955(昭和30)年09月に開校したが拡張は不可避で、1960(昭和35)年前後に現在の運動場付近が埋立造成された。

この図のとおりその後も埋立が進み、1970年代の名瀬新港(現在のフェリー岸壁)埋立工事のために県道名瀬瀬戸内線が整備されて交通量が増えたことから、生徒の安全確保と道路交通の円滑化を図るために横断歩道橋が架設されたようだ。職員・生徒の往来と一般利用の双方の便宜を図るために移動距離を最短にできる螺旋階段が採用されたと思われる。

金久中学校周辺の歴史

1955(昭和30)年09月 金久中学校開校・校舎建設
1959(昭和34)年04月 塩浜埋立開始
1961(昭和36)年04月 金久中学校プール完成
1963(昭和38)年03月 金久中学校新本館完成
1963(昭和38)年12月 第二火力発電所(現・九州電力塩浜寮の位置)送電開始
1973(昭和48)年 金久中前歩道橋完成

なお、1955(昭和30)年10月14日と12月3日に名瀬中心部で2件の大火が発生したが、その復興事業と金久中学校付近の埋立は直接関係がない模様。

交差点情報整理

路線県道79号名瀬瀬戸内線
所在地鹿児島県奄美市名瀬塩浜町
回転度270度✕2
完成時期1976(昭和51)年
実走行日2024年02月24日

現調レポート

金久中前歩道橋全景。

東側(運動場側)昇降階段。

西側(校舎側)昇降階段。脇を塩浜川が流れる。

橋歴板は脱落し、橋名板は取り付けられていない。

金久中学校・塩浜(昭和43年) 出典:奄美市フォトライブラリ CC BY-NC-SA 4.0

写真出典には昭和43年と記されているが、そのときにあるはずの金久中学校新本館が写っていない。撮影時期は昭和30年代前半ではないだろうか。

    参考資料

  1. 名瀬市誌 上巻(1968年/名瀬市誌編纂委員会 編)
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