白浜 丸公園ロータリー

万葉の時代からの古湯、南紀白浜温泉。鉛山湾の南側がその源泉だったようだが、大正年間に湾の北側で新しい源泉を掘り当て、近くに白良浜があったことから当初白良浜温泉と名付け、後の大正12年に白浜温泉に改名された。当時の紀伊半島は鉄道網が十分発達しておらず、大阪商船(現在の商船三井というべきか、フェリーさんふらわあというべきか)と連携した海路アクセスで大々的に営業活動を開始したという。その後に紀勢本線が全通したこともあって、大正初めには年間数万人だった温泉浴客が昭和初めには数十万人に増えた。

大正12年4月、一帯の開発を進めていた白浜土地建物が御幸通り(本ロータリー交差点から東へ延びる約1km)と浜通り(本ロータリー交差点から南へ延びる約400m)を開削整備しており、客が集うランドマークとして丸公園が設けられたことは想像に難くない。具体的な設置時期は不明だが、1921(大正10)年完成である千里山住宅地噴水ロータリーに影響され、原型は大正年間に作られたと推定する。

昭和30年代までは藤棚がある文字通りの公園だったが、その後松下電器の広告塔に変わって円形交差点としての通行方法が確立され、そしてソテツの植樹に変遷して、現在は白浜アドベンチャーワールドを意識したのかイルカのモニュメントになっている。

この交差点はロータリー交差点として運用を継続するよりも、ラウンドアバウトにするほうがよりスムーズな通行に変わると思うのだが、検討は行われたのだろうか。

カテゴリーロータリー
路線和歌山県道31号田辺白浜線/和歌山県道34号白浜温泉線/町道
所在地和歌山県西牟婁郡白浜町
実走行日2018-11-23
全景写真
白浜 丸公園ロータリーを東側から眺める拡大する
白浜 丸公園ロータリーを東側から眺める。
白浜 丸公園ロータリーを南側から眺める
西側から眺める。
白浜 丸公園ロータリーを北側から眺める拡大する
北側から。
北東側、紀陽銀行の脇道から眺める。この接続路のみ一時停止で規制されている。
中央島のイルカのモニュメント。誰の作品でどんな経緯・背景でここに設置されたのか、どこかに解説されているのだろうか。

参考資料:

  1. 白浜町 町勢要覧資料編(2013)
  2. 戦前期温泉地をめぐる鉄道と汽船の競合に関する試論[2015年3月31日 名古屋学院大学経済学部 笠井教授]