JR青梅線東中神駅南側に八清住宅地と呼ばれるエリアがあり、その中心部に7枝のロータリー交差点がある。
1938(昭和13)年12月5日、旧陸軍は名古屋工廠の一部を移転する形で名古屋工廠立川兵器製造所※1を設置することを決定、翌年に現在の東中神駅北側に移転を開始したが、桑畑しかなかった地であり従業員を受け入れる住宅建設が急務であった。その建設はランカイ屋(博覧会展示物の建設・演出をする業者)として名を馳せた八日市屋清太郎氏が引き受けたのだが、突貫工事・仮設工事なら氏に任せればなんとかするであろうとの算段だったに違いない。組織的で廉価な住宅建設を目指した住宅営団発足(昭和16年5月)の直前のことである。
陸軍航空工廠は1945(昭和20)年9月4日に解散となって八清住宅は戦災者に提供された。住宅地完成時点ではロータリー交差点の西半分には接続する道路はなかったが、戦後すぐに放射状に道路が作られた。
1953(昭和28)年に八清住宅所有権が正式に昭和町(現在の昭島市)に払い下げられることとなり、町は既居住者を中心に住宅を売却した。その頃、ロータリー西側の南北の道路「八清通り」が拡幅されている。
そんな経緯もあり、市街地では珍しく7枝の交差点※2となっている。路線名を下図に示す。
住宅地完成時点ではロータリー交差点周辺には建物がなく見通しが確保されていたが、戦後の住宅不足による混乱に抗えなかったのだろう、環道の際まで住宅が建てられ、現在ではここをラウンドアバウトとして運用するのは困難な印象だ。
路線 | 市道(別図参照) |
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所在地 | 東京都昭島市玉川町3丁目 |
完成時期 | 1941(昭和16)年 |
実走行日 | 2020-06-27 |
全景写真 | |
拡大する 市道南288号線北西側から眺める八清ロータリー。一時停止の規制はなく、ロータリー交差点なので進入車優先である。 八清ロータリーを市道南285号線から眺める。ここで右折して市道南288号線を北西へ向けて進むことができるので、この道路は環道に接続しているとは見做さないほうが適切。これが7枝交差点である理由だ。 八清ロータリーを市道南284号線から眺める。この道路には環道接続の手前40mの位置に警戒標識「ロータリーあり(201の2)」が設置されている。 市道南278号線から眺める。この道路は警戒標識「ロータリーあり(201の2)」から八清ロータリーまでの間が狭隘なためか、一方通行。 拡大する 環道接続直前の市道南278号線から眺める。標識を見落としても一方通行と気付くように路面ペイントが工夫されている。(が、それに気付く人は少数派か) 拡大する 市道南288号線南東側から眺める。この道路は八清ロータリーから流出だけ可能な一方通行だ。 市道南278号線南側から眺める。非常に狭隘だが、この道路は一方通行で規制されていない。また、警戒標識「ロータリーあり(201の2)」が設置されていない。 市道南291号線から眺める。この道路は一方通行で規制されていないだけでなく、警戒標識「ロータリーあり(201の2)」が設置されておらず、一時停止規制もない。優先関係がとても曖昧だ。 市道南292号線の警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はかなりやつれていた。 拡大する 市道南292号線から眺める。左折して市道南288号線を北西方面へ進むことは規制されていないが、路面ペイントで無理なことを暗示させている。素直にロータリーを周回するべきだろう。もっとも、そのような通行は極めて稀である。また、中央島には防火水槽が併設されている。 八清ロータリーの傍らに置かれている「八清の由来」碑。我がウェブページで延々と解説したことが漏れなくコンパクトに纏められている。 |
空中写真で比較する八清ロータリー 戦前と現代
1941(昭和16)年6月25日撮影と2008(平成20)年5月27日撮影。ロータリーを含め住宅地はほぼ完成しているようだ。中央やや下に八清公園の原型が見える。直径70mの真円だが、元は何を意図していたのだろうか。住宅街なのでいわゆる象の檻ではないと思うが。
空中写真で比較する八清ロータリー 戦後と現代
1948(昭和23)年9月17日撮影と2008(平成20)年5月27日撮影。建物は異なるが、道路は現在とほぼ同じになっている。