ループ橋

苗我島ループ橋

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本州最南端の町、串本。
世界遺産に登録された熊野古道は遥か昔に拓かれた参詣路であるが、近代的な交通網の整備は大幅に遅れた。最初に国道に指定されたのは1945(昭和20)年、国道41号として。国鉄紀勢本線の全通は1959(昭和34)年、高規格幹線道路に至っては未だ事業中である。大量輸送の任は長く海路が担っていた。

※ 2019年11月現在、第四次全国総合開発計画(四全総)で高規格幹線道路として構想された「紀勢自動車道」の全てが供用中または事業中。全通は21世紀中頃か?

そんな場所なので、関東在住者にとっては訪れる機会がなかなかない。東京-那智勝浦-高知のフェリー航路が廃止されたのでなおのことである。最低3日、できれば4日以上の日程を確保したいエリアだ。

さて、そんな最南端の町のさらに南、潮岬半島とその沖に浮かぶ苗我島(みょうがしま)・紀伊大島(串本大島とも)との間の架橋は地元にとって永年の夢だった。一説によると、民謡として名高い串本節でも「仲をとりもつ 巡航船」「橋をかけましょ ふなばしを」と謡われている。巡航船(渡船)は大正時代初期から、1972(昭和47)年からは並行して串本フェリーも運航された。ピーク時の巡航船は3航路(大島港・樫野漁港・白野漁港)に就航していたという。

その島が離島振興対策として「歴史と自然に包まれた観光の島」を目指して架橋されることになり、1989(平成元)年に事業化された。

苗我島と紀伊大島の間(苗我島水道)は漁船の往来があるため一定のクリアランスを確保する必要があるとともに、大島西岸が海食崖で急峻のために道を高い位置に通す必要があるため、苗我島でループさせることにしたのだろう。

本土と苗我島の間は防波堤(1974(昭和49)年着工、1978年(昭和53)完成)でつなげられており、架橋事業によりその上を県道が通された。苗我島と紀伊大島の間はくしもと大橋と名付けられたアーチ橋で、両橋が1999(平成11)年9月8日に供用開始されたことに伴い、巡航船と串本フェリーは廃止された。

路線県道40号樫野串本線
所在地和歌山県東牟婁郡串本町串本
回転度250度
完成時期1997(平成09)年※供用開始は1999(平成11)年
実走行日2010年03月21日

2010年03月21日撮影
苗我島上から見る苗我島ループ橋。強風時は海に突っ込むというか波にさらわれるような感覚に襲われるのではないだろうか。

東詰のくしもと大橋ポケットパークに設置された記念碑。

くしもと大橋の橋名板。苗我島ループ橋の橋名板は目視可能な位置には取り付けられていない。

2018年11月24日撮影
潮岬半島東岸から眺める苗我島ループ橋。

苗我島ループ橋を俯瞰。

苗我島ループ橋をさらに上空から眺める。海の青さが美しい。

紀伊大島方向にのみ、ループを示す警戒標識がある。

くしもと大橋はアーチ橋。

本土と苗我島の間の浅海防波堤道路の西詰にあるポケットパークに事業概要が掲示されていた。事業計画時は事業名が「大島架橋事業」、くしもと大橋は「大島大橋(仮称)」とされていたが、誤解を避けるために「大島大橋」部分が消されたのだろう。

初回記事公開時、「苗我島のループ橋、苗我島水道のアーチ橋、それぞれの橋に名前があるものと思っていたが、どうも2つで『くしもと大橋』のようだ。」と書いたが、ループ部の橋梁は「苗我島ループ橋」と名付けられていた。
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