赤城北ろく用水円筒分水工群

(2018年5月12日初版記事公開/2023年11月25日一部書換え)

赤城北ろく用水は赤城山北麓を流れる利根川水系片品川の支流である鷹ノ巣川と大洞川で取水し、赤城山を時計に見立てれば12時の方向で取水して反時計回りに8時あたりへ配水している。昭和後期から平成にかけ赤城西麓用水が整備されてそちらの受益地が広くなったが、高度成長期は赤城北ろく用水が昭和村の農業を支えてきた。

1932(昭和7)年に着工された赤城開墾用水は農業用水のみならず生活用水としても活用された。やがて営農の変化もあって一層の用水を必要とする時代になり、赤城北ろく用水事業が1960(昭和35)年に着工、1965(昭和40)年に完工となった。その一連の工事で昭和村に4基の円筒分水工が設けられた。分水工の脇には大きな貯水池が設けられている。取水量が多くないため、農繁期に備えて長時間かけて貯水しておくのだろう。

2012(平成24)年~2015(平成27)年には農業農村整備事業の一環として老朽化が進んだ赤城北ろく用水施設の改修工事が行われ、この円筒分水工も大規模改修されたようだ。

昭和村の広報誌 広報しょうわ 令和3年12月号(No.630)特集:「やさい王国」の恵み には、戦後入植の苦労と用水整備の歴史がコンパクトに解説されているので、そちらも参照してほしい。

広報しょうわ 令和3年12月号(No.630) には赤城北ろく用水と赤城西麓用水の受益地が記されている

そんな経緯の赤城北ろく用水だから公平な分水が厳に求められ、円筒分水工が4基も採用されたのだろう。


当記事を最初に公開した時点では第1円筒分水工だけが存在すると思ってレポートしていたが、その後に円筒分水ファンのちえ。さんが現地を訪問された。そして、円筒分水は実は4基あることが判明した。空中写真をよくよく見れば他の3基もしっかり写っていて、我が目の節穴加減には呆れる。

ともあれ、5年間未取材だった3基を訪問したので追記しておく。

円筒分水工の概要

管理者赤城北ろく土地改良区
所在地第1円筒分水工 群馬県利根郡昭和村大字貝野瀬
第2円筒分水工 群馬県利根郡昭和村大字貝野瀬
第3円筒分水工 群馬県利根郡昭和村大字糸井
第4円筒分水工 群馬県利根郡昭和村大字糸井
完成時期1964(昭和39)年
訪問日2018-05-06

第1円筒分水工

(2018年5月6日撮影) 赤城北ろく用水 第1貯水池と第1円筒分水工拡大する
赤城北ろく用水 第1貯水池と第1円筒分水工の施設全景。厳重に閉鎖されているが、柵越しに眺めることはできる。
これでは分水比率がさっぱりわからん。
敷地の南東側へ回り込んで、赤城北ろく用水 第1円筒分水工を眺める。角度にして10度強、ということは分水比率は30:1ぐらいか。こんな極端な比率は初めて見た。

第2円筒分水工

(2023年4月29日撮影) 赤城北ろく用水 第2円筒分水工は林と農地の境界付近にある。
赤城北ろく用水 第2円筒分水工の全景拡大する
赤城北ろく用水 第2円筒分水工の全景。背後のパラペットはなんだろう?土石流発生時に円筒分水工が埋もれないようにするための防護壁だろうか?
赤城北ろく用水 第2円筒分水工 別角度から拡大する
赤城北ろく用水 第2円筒分水工は第1円筒分水工の分水比率(30:1)と同程度に見える。

第3円筒分水工

(2023年4月29日撮影) 赤城北ろく用水 第3円筒分水工の全景拡大する
第3貯水池(糸井貯水池)に円筒分水工が隣接している。
赤城北ろく用水 第3円筒分水工拡大拡大する
第3円筒分水工に接近(と言ってもフェンスに囲われているので近付けない)。分水比率は第1や第2と違って6:1ぐらいに見える。ただし、訪問時は外壁にブロックを載せて分水比率を変えていた。

第4円筒分水工

(2023年4月29日撮影) 赤城北ろく用水 第4円筒分水工は畑の真ん中にある。畦道があるものの、土壌伝染性病害虫や雑草種子飛散を防ぐため部外者は立ち入らないことがマナー(と言うよりは暗黙のルール)だ。
赤城北ろく用水 第4円筒分水工を俯瞰拡大する
赤城北ろく用水 第4円筒分水工を俯瞰する。ここも外壁上にブロックを並べて分水比率を変えている。
第4貯水池(橡久保貯水池)横に置かれた赤城北麓土地改良事業記念碑。1988(昭和63)年5月建立。

ヒーリング&リラクゼーション(嘘)

初版記事公開時点では、赤城山周辺では南麓にある赤城大沼用水に関してはネット上でも情報が豊富だったが、赤城北ろく用水については群馬県のウェブサイトでもほとんど見つけられない、かなり謎な物件だった。この数年間で進んだ情報のインデックス化に感謝。