円筒分水

岩堂セギ円筒分水庫

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旧・塩山市と旧・勝沼町の境界付近にある集落のはずれ、山梨県道38号塩山勝沼線沿いにある1927(昭和2年)完工の円筒分水工。現在は甲州市塩山牛奥という地名だが、円筒分水工が作られた当時は東山梨郡 奥野田村 大字牛奥 小字岩堂 だったようだ。

JR中央本線直下の鬢櫛川で取水された用水は200mほど下流の、ここ岩堂で三等分され、中牛奥(字前田)・西野原・甲戸(かぶと)へ配水されている。

分水工名称は甲州市教育委員会の現地聞き取り調査によるものを正とした。参考資料2によれば、当時は「岩堂分水桝」または「岩堂分水口」と呼ばれていたとみられる。
甲州では、用水取り入れのために水を堰き止める構造物を「マチ(つちへんに丁)」、用水路を「セギ(堰)」と呼ぶそうだ。(参考資料1:645ページ)
また、等高線と平行の流路を横堰、斜面を自然に流れてゆく流路を縦堰と言う。

参考資料1によると、1839(天保10)年7月には牛奥と西野原の間で悶着があったらしい。(岩堂前分水一件口証文)
記録に残っている訴えはその1件のみとのことであるが、甲府盆地の多くは扇状地なので利水に苦労したことは想像に難くない。1906(明治39)年7月11日には西野原がついに「分水桝改設御願」を村長宛に出している。

その願いが叶うのは17年後、1923(大正12)年4月3日に利害関係者が集まって、分水桝の改築方法や費用分担と分水比率を含む、横堰修繕岩堂分水桝改築委員会設立(この委員会が後の牛奥西ノ原耕地整理組合へ発展している?)を決議している。

鬢櫛川ヨリ引きキ入レ中牛奥岩堂ニ於テ分水桝ハ今回石ニテ改築シ、・・(中略)・・其改築設計ハ県庁ヨリ技師ヲ依頼シテ完全ニ改築スル事

(以上、1906年から1923年まで参考資料2:838ページ)

今後、参考資料に登場する間藤堰[まとふ堰]・落合堰の位置、配水先である字前田と甲戸の位置関係を確認してゆく。

2017(平成29)年05月02日、国登録有形文化財(建造物)になった。
管理者笛吹川沿岸土地改良区?
所在地山梨県甲州市塩山牛奥
完成時期1927(昭和02)年
訪問日2015年11月01日

写真は2015年11月1日撮影と2015年12月5日撮影が混在している。
坂の上から接近するとこのような場所にある。洗い場がまだ残っていた。

背後の桜は円筒分水工が施工される前から存在していたとのこと。見た目、樹齢200年はありそうだ。

呑口は直前の位置。

内側の低い円筒から湧く用水が中円筒に開けられた孔から流れ出てゆく。ピーク時でもこの孔の数で処理できる水量なのか。

周囲の擁壁は野面積み。緩みはほとんど見られないようだ。

2024年4月6日動画撮影

    参考資料

  1. 塩山市史 通史編(塩山市史編さん委員会)
  2. 塩山市史 史料編(塩山市史編さん委員会)
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