亀岡商工会館前

サンガスタジアム(府立京都スタジアム)のすぐ北に警戒標識「ロータリーあり(201の2)」が立てられている。
その先にある建物は亀岡商工会館。
どうやらその建物前の広場をロータリー交差点と示しているようだが、2枝なので「交差点」じゃないのに。警戒標識の裏を見ると「13年度」と記されている。2013年度ではなく2001(平成13)年度と考えるべきだよね。

亀岡商工会館(建設当時の名称は保津川観光会館)は1958(昭和33)年に建設されたが、近年は廃墟感あふれる見栄えで話題になっている。あちこちで紹介されていて、当サイトが今さら説明しても二番煎じになってしまうのでそちらを参照してほしい。

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1959(昭和34)年12月18日 京都府告示第858号で認定された 京都府道114号船岡出雲亀岡線が亀岡商工会館前を通り、保津橋(1939(昭和14年)完成)で桂川を渡河していた。当然、その頃に警戒標識「ロータリーあり(201の2)」が立てられているはずもなく、何がどうなってこの警戒標識が設置されたのか。歴史を辿ってみる。

年月 出来事
1939(昭和14)年02月 旧保津橋完成。それまでは木橋で、大雨で幾度か流されたらしい。
1958(昭和33)年 保津川観光会館完成
1959(昭和34)年12月 保津川観光会館前の道路~保津橋が府道114号船岡出雲亀岡線(現在の府道25号亀岡園部線)に認定
1972(昭和47)年06月 保津橋に歩道橋側道取付
1973(昭和48)年 保津川観光会館は改装工事を経て亀岡商工会館になる
1999(平成11)年06月 亀岡商工会議所は道の駅ガレリアかめおかに隣接する地へ移転
2001(平成13)年11月 新保津橋開通
2002(平成14)年05月 旧保津橋撤去工事開始

つまり、新保津橋開通と同時に旧保津橋を閉鎖したのでUターンを促すべく、本来の意味とは異なる警戒標識「ロータリーあり(201の2)」を立てたのではないか。

2022(令和4)年には亀岡商工会館の取り壊しが始まる予定で、そのときにはこの警戒標識もなくなる運命だろう。

路線市道
所在地京都府亀岡市追分町下島/亀岡市保津町針ノ木新田
完成時期2001(平成13)年
実走行日2022-05-06
全景写真
亀岡商工会館前に立つロータリー交差点警戒標識拡大する
亀岡商工会館前に立つロータリー交差点警戒標識。
亀岡商工会館前のロータリー交差点とされている広場拡大する
亀岡商工会館前のロータリー交差点とされている広場。警戒標識が立てられたときからロータリー交差点ではなかった。
1958(昭和33)年完成の亀岡商工会館拡大する
1958(昭和33)年完成の亀岡商工会館(旧保津川観光会館)。左に下っている道路は亀岡商工会館(旧保津川観光会館)が建つ前から存在した道路だ。
亀岡商工会館の中が気になるので覗いてみた。2階に入居している(いた)「住友・川田・金下共同企業体」は新保津橋の施工者だ。
警戒標識「ロータリーあり(201の2)」の裏は2001(平成13)年度に設置されたことを主張している。

亀岡商工会館と保津橋の変遷

赤丸は亀岡商工会館前のロータリー交差点とされている広場の位置を示す。
1948(昭和23)年09月25日 | 1975(昭和50)年03月04日 | 2008(平成20)年05月03日
1948(昭和23)年09月25日永久橋・コンクリート橋の保津橋が架けられて9年後。亀岡商工会館(保津川観光会館)はまだない。
1975(昭和50)年03月04日亀岡商工会館が写っている。
2008(平成20)年05月03日保津橋が下流に架け替えられ、亀岡商工会館前はクルドサックのようになっている。
参考文献
  • 丹波・亀岡:その風土とくらし 続ふるさと亀岡をつづる(福知正温著/1984年刊)
  • 亀岡市史 下巻(亀岡市史編纂委員会編/1965年刊)