神崎浜ロータリー

舞鶴市の北西部、由良川河口右岸の神崎という集落の海岸近くに円形交差点がある。

江戸時代には製塩が主力産業で塩田が広がる地域だったが、政府が1905(明治38)年に開始した塩の専売制とともに廃れ、その後は由良川の砂利を採取するようになったという。明治22年の町村制施行とともに神崎村が成立、昭和の大合併で加佐町を経て1957(昭和32)年に舞鶴市になった。

昭和の大合併に伴う交付金活用の一環か、塩田跡のため田畑に転用しにくい土地を貫く道路を府道601号由良金ヶ岬上福井線 ※1 や市道にして整備、浜近くの府道と市道の丁字路を円形交差点にした。
※1 1959(昭和34)年12月18日に府道認定(昭和34年京都府告示第858号 府道路線の認定)

1961(昭和36)年7月、その一連の施工が完了したことを記念して、円形交差点の中央島に記念碑が置かれた。当然、除幕式等が開催されたと想像するが、舞鶴市史には関連する記述が一切ない。

円形交差点の進行方向は規制されておらず、環道のうち北半分は車両通行が困難な(とは少々誇大で「通りたくない」と言うほうが正確か)状態になっており、ロータリー交差点としては機能しない。

国土地理院の空中写真で、円形交差点設置直後の様子を見比べてみよう。

神崎浜ロータリー ビフォー・アフター
Before
After
左:1963(昭和38)年07月31日 ロータリー交差点設置から2年経過。植栽が成長していないのでわかりにくいが、環道が存在している。轍の状況から見て、設置当初から環道右回り一方通行ではなかったようだ。
右:1975(昭和50)年12月03日 ロータリー交差点設置から14年経過。植栽がまだ疎らだが、現在とほぼ同じ。

神崎の集落の外れに、国登録有形文化財(建造物)に指定されている「神崎コンクリート株式会社旧煉瓦窯(旧京都竹村丹後製窯所煉瓦窯)」がある。元は明治30年建設の登り窯だったが、連続焼成で大量生産可能なホフマン式輪窯に改造したもので、国内に現存するホフマン式輪窯4件の1件である。1897(明治30)年舞鶴要塞建設開始、1901(明治34)年鎮守府開庁により軍関係及び軍需施設の建設整備が進められ、その建設に必要なレンガを製造していたとのこと。

路線京都府道601号由良金ヶ岬上福井線/市道
所在地京都府舞鶴市字西神崎
完成時期1961(昭和36)年
実走行日2022-05-04
全景写真
神崎浜ロータリーを南側から眺める拡大する
神崎浜ロータリーを南側から眺める。集落外から来る人は、ほぼ間違いなくこの向きで通行する。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はない。
神崎浜ロータリーを西側から眺める。見通しが悪くてロータリー交差点に見えないから、左側へ進行する気にならない。
東側から眺める。夏場は海水浴客がそれなりに来るだろう。ロータリー交差点として運用できれば、多少はスムーズになるか?いや、神崎浜ロータリー南側の県道自体が狭隘で速度を出せないから、対して変わらないか。
中央島に設置された道路改修記念碑。京都府知事と舞鶴市長の名が刻まれている。
神崎浜ロータリーのすぐ脇にある海水浴場案内図。一応、ロータリーだと認識されている。