蒲原のの字(正式名称:第二城山隧道)

東名道に隠れるように密かに存在する、その名も「のの字」。建設は古く昭和6年頃と思われる。
「のの字」のすぐ上に「第一城山隧道」があり、この脇に『静岡県知事 鵜澤憲』の銘板があった。当時は県道だったということか。
鵜澤憲氏が静岡県知事だったのは1931年(昭和6年)5月8日~12月18日のわずか7ヶ月である。

蒲原町建設産業課によれば、以前は「第二城山隧道」が蒲原城址寄りにあったが、昭和48年に農業用水工事用道路拡幅の際に取り壊されたとのこと。代わってのの字のトンネルに「第二城山隧道」が付けられたそうだ。町の台帳では第一城山隧道とともに昭和8年完成とのことだが、これは上述の通り少々怪しいと見ている。

その一方、蒲原町史には次の記述がある。

水路及び道路修理工事を行うため八年に時局匡救耕地拡大改良工事補助金として五三九円が交付となり、新田水路、嘉右衛門堀水路、新水道水路、雨堤道路、常楽寺道路、新田浜道路、堰沢道路などの改修を施工した。

昭和恐慌救済策のひとつとしての公共事業である。町史に記述された道路に第一城山隧道・第二城山隧道に該当するものはなさそうだが、不況対策として公共事業でトンネルを掘るというのは合点がゆく話でもある。

すぐ近くにアルミニウムの大工場があるというのに東海道蒲原宿がきちんと保存されている、大変好感触を持った町である。東名高速建設の際に取り壊されても已むを得ないようなのの字であるが、今まで残されてきたのも頷ける。蒲原郵便局の赤カブライダーが好印象!であった。

路線町道西町城山線
所在地静岡県庵原郡蒲原町蒲原
回転度360度
完成時期1931(昭和6)年? 1933(昭和8)年?
実走行日2003-08-23
全景写真
全景。右上に東名道の桁が見える。
第二城山隧道をのの字内側から眺める。ここは2.8m制限だ。のの字内側擁壁の玉石積みが美しい。
第二城山隧道をのの字外側(南側)から眺める。
第一城山隧道銘板。

2008年5月6日再訪。
のの字奥部から第二城山隧道を眺める。
のの字奥部から第一城山隧道方面を眺める。ここまでは2.8m制限のはずだが、第一城山隧道が2.6m制限なのである。