上奥田円筒分水工

会津置賜方面のツーリング中、山形県道244号口田沢川西線脇で見つけた「丸いモノ」、それは円筒分水工であった。

ただ、内筒から吹き出す用水を分水する板がなく、左右の水路へ自由に流れているとともに、内筒から直接塩ビパイプで隣の田圃に配水している。円筒分水を設ける最大の理由「公平な分水」に目を瞑っているのが謎。

帰宅後に川西町史等を詳しく調べてみた。この周辺は満州や樺太からの引揚者が入植したが、旧来からの農家もあり、耕地区画は小さく様々な形状で生産性が極めて低かったそうだ。東沢圃場整備事業(1966(昭和41)年10月着工、1971(昭和46)年6月完工)により農地整備されたことはわかったが、円筒分水を設置したという記録はなかった。分水工21ヶ所、サイフォン工2ヶ所が施工されたとのことで、このどちらかにこの円筒分水工が含まれていると考えるべきだろう。この時点では、県道を挟んで西側にあった4つの溜池を使って灌漑していたそうだ。

一方、国営白川農業水利事業が1969(昭和44)年度から1987(昭和62)年度に行われ、この川西町上奥田地区は、1982(昭和57)年度から1987(昭和62)年度に行われた黒川下流幹線用水路工事により、水源を溜池から変えたとのこと。その時点で円筒分水は既に存在していたらしい。

少なくとも現在は、県道の西側にある水門で分水、サイホンで県道をくぐり、その吐口としてこの円筒分水工が使われている。

管理者白川土地改良区
所在地山形県東置賜郡川西町上奥田両替
訪問日2014-06-15
全景写真

2014年6月15日初訪

上奥田円筒分水工全景
非常に小さな分水工。だが、「公平な分水」にはなっていない気がする。

2018年5月26日再訪

残雪の飯豊連峰と上奥田円筒分水工拡大する
残雪の飯豊連峰と上奥田円筒分水工。
白川ダムから山をふたつ越えてきた水。
溢流した水を厳密な比率で分水する方式ではない。
県道の反対側に、黒川下流幹線用水路から分水された用水の水門がある。
白川ダムで取水した水が山ひとつ越えてきたところに設けられている犬川上流分水工。水が大量に必要な季節なので、流量がすごい。落ちたら死ぬ。

国営白川農業水利事業により整備された用水を記した。上奥田円筒分水工は黒川下流幹線用水路の末端にあたる。