河内谷第1砂防堰堤魚道

1891年に起きた濃尾地震による根尾谷断層で有名な本巣市(旧根尾村)の北部にある根尾越波(ねおおっぱ)という集落は秘境として有名で、昭和34年台風15号(伊勢湾台風)や昭和40年台風24号の被害や昭和55年1月の豪雪が一因となって離村が相次ぎ、現在は集落出身者が非積雪期或いは週末の別荘として暮らしているという。

越波集落の祖先が元々(と言っても1350年くらい前の7世紀頃に)住んでいたとされる河内谷に設けられた砂防堰堤に付設された魚道がループしている。すぐ近くにある大河原第1砂防堰堤魚道と同時期の施工であり、同じ設計とみられる。

砂防堰堤の竣工は大河原第1砂防堰堤から10ヶ月後の1993(平成5)年7月で魚道の竣工は1994(平成6)年12月というのは、1991年に建設省が主導して開始した「魚がのぼりやすい川づくりモデル事業」 を受けて仕様変更したと考えられ、既に堤体建設の入札が終わっていたので別工事にされたのだろう。

大河原第1砂防堰堤魚道は将来の土砂堆積を考慮して魚道出口(堤体貫通部分)を上下2箇所に設けているが、こちらはそのような工夫は施していない模様。

現地は立入禁止ではないが冬季閉鎖される未舗装林道の奥にあり、気軽に立ち寄れる場所ではないことに留意する。未舗装ではあるもののフラットなのでロード車でも十分通行できると思うが、雨天後のぬかるみ・倒木・落石は当然あると心得るべきだ。

ループ魚道情報の整理

構造鋼桁トラック式スパイラル魚道
水系木曽川水系河内谷(根尾西谷川支流)
所在地岐阜県本巣市根尾越波
回転度360度
完成時期1994(平成6)年12月 ※魚道の完成
訪問日2022-12-02
全景写真

市道から砂防堰堤までの道のり

国道157号の黒津集落または大河原集落からアクセスするほうが道路事情がよいものの、国道157号は頻繁に通行止めになるため、根尾東谷川沿いに岐阜県道255号根尾谷汲大野線を北上し、全線舗装の林道折越線~根尾越波集落を経由するほうが確実だ。以下、写真で根尾越波集落からの道のりを紹介する。 根尾越波集落の西の外れ・須合谷川に架けられた越波橋を渡ると、このような石碑がある。ここから全線舗装の林道猫峠線に入る。
林道猫峠線を越波橋から300m北上すると、林道河内谷線との分岐の三叉路になる。案内どおり左に進むと国道157号、右に4km進むと目指す河内谷第1砂防堰堤がある。
林道猫峠線と林道河内谷線の分岐から150mで林道岩の子線が分岐する三叉路になる。林道河内谷線を直進する。
越波橋から1.6kmでこの場所。県民の森とのことだが、ハイキングすることを想定したものではないだろう。水源なので大切にしましょう、のような意味合いか。
閉められた形跡がないゲートを過ぎ、2つぐらい橋を渡ってゆく。
越波橋から3.9kmにある橋。写真の背後には分岐する林道(施業道)があり、ちょっとした広場になっている。この先に進むと方向転換に適した場所が遠くなるので、他車が通行する可能性がある時期には車両はここに停めるのがよいだろう。ここから河内谷第1砂防堰堤まで150mだ。
なお、分岐した道路を辿ると林道折越線の折越峠へ到達できるらしいが、施業道なので一般人の進入は遠慮すべき。

砂防堰堤と魚道

河内谷第1砂防堰堤の銘板。揮毫者は長嶺小学校の児童で、大河原第1砂防堰堤の揮毫者の1年後輩とのこと。
銘板裏から眺める河内谷第1砂防堰堤と魚道拡大する
銘板裏から眺める河内谷第1砂防堰堤と魚道。夏場は草木が茂って見えにくそう。
河内谷第1砂防堰堤と魚道の全景拡大する
河内谷第1砂防堰堤と魚道の全景。大河原第1砂防堰堤より規模は小さいが、それでもかなり大きいぞ。
河内谷第1砂防堰堤魚道に接近拡大する
魚道に接近する。水は流れているが、魚は遡上するのだろうか。訪問時は季節ではないので魚道に触れる距離に近付いても魚影は見えないだろうが。
この写真ではよくわからないが、魚道形式は階段式だそうだ。
河内谷第1砂防堰堤の下流側を眺める拡大する
河内谷第1砂防堰堤の下流側を眺める。
河内谷第1砂防堰堤の上流側を眺める拡大する
上流側を眺める。まだ満砂に到達していないため、ダム湖が形成されている。
しれっとクマ出没を匂わせる絵だね。
銘板は長嶺小学校の児童が揮毫している。私が確認したのはここと大河原第1砂防堰堤だけだが、他の堰堤にもあるのだろうか? 「根尾村銘板書道展鑑賞会」なんてイベントをやったら参加者はいるかね?
実は「河内谷」の読みがわかりません。我がIMEで一発変換できたのは「こうちだに」唯一でしたが、かわちだに?かわちや?こうちや?それとも他の読み?かも。