松山空港地下道北詰ループ

空港アンダーパスの道路もループトンネルも珍しくないけど、この2つがセットになってるのはココだけである。(但馬飛行場は微妙に違う)

最大幅は1.5m最大高さ2.5mに制限されており、四輪車は軽自動車以下のみ通行可ということになる。永犬丸地下道と同様、道路交差部は土被りがないので、我がサイトでは橋梁に分類した。現地を知る人には違和感があるのは承知のうえだ。

松山空港は旧海軍吉田浜飛行場として戦中に開設され、終戦後に連合国軍に接収された後、1956年には民間空港として運用開始された。海軍飛行場を設けた時点で、飛行場により農地が分断されることとなったために飛行場内を農業用道路が通っていたらしく、2000m滑走路が設けられるまでは航空写真でその痕跡を確認できる。

第一次空港整備5カ年計画(1967年度~1971年度)で松山空港滑走路の延長が計画され、1972年4月に2000m級滑走路の供用が開始された。このときに農業用道路の地下道化が計画され、1971(昭和46)年に完成した。ただ、この時点では空港北側坑口付近はオメガ(Ω)形状の線形であった。

1981年度から始まった第四次空港整備計画により、2500m滑走路の整備(500m延長)とターミナルビルの拡張が行われることになった。輸送力強化を狙ったものであり、空港利用者の増加に対応するためにアクセス道路の整備も必要であることから、滑走路北縁に市道新設が計画された。この道路用地確保のためオメガ(Ω)形状の空港地下道北詰改修が必要となり、1991(平成3)年頃に現在のようなのの字の線形に改造されたとのこと。

改修後空港地下道の供用開始日は調査しきれなかったので、情報提供をお待ちします。

このような経緯から地下道は農耕車優先道路とされているのだろう。市道になった現在でも坑口横に「この道路は農耕車以外の一般車両は通り抜けをご遠慮下さい」と掲示されている。

路線市道生石169号線
所在地愛媛県松山市南吉田町
回転度260度
完成時期1991(平成3)年頃?
実走行日2015-04-30
全景写真
車幅制限と高さ制限がある。車幅制限のボラードがボコボコにされていて痛々しい。この写真が交差地点である。
上の写真の地点を反対側から見る。
空港により分断された農地の東西を往来できるようにするために設けられている市道により分断された公園の東西を往来できるようにするために設けられている橋。
南吉田緑地。とても興味深い公園だ。
のの字の中央部。桜の季節は花見をやってそうな場所である。


国土地理院が公開している空中写真で変遷を追いかけてみる。

1962(昭和37)年 | 1971(昭和46)年 | 1975(昭和50)年 | 1989(平成元)年 | 1994(平成06)年 | 2010(平成22)年

1962(昭和37)年06月20日撮影 青矢印の先にある轍は、滑走路により分断された土地東西を往来するための道路だろう。
1971(昭和46)年12月20日撮影 滑走路延長の工事中で、合わせて地下道工事が行われた。
1975(昭和50)年02月13日撮影 地下道北側坑口付近はオメガΩ形状の線形であることがはっきりわかる。
1989(平成元)年04月18日撮影 松山空港ターミナルビル拡張工事が始まったようだが、松山空港地下道北詰はまだオメガ形状だ。
1994(平成06)年05月20日撮影 ターミナルビル拡張の外郭工事が完了したとともに、県道から続く滑走路北縁に延びる市道が完成、松山空港地下道北詰ののの字線形への改造が完了しているように見える。タクシーウェイ上に地下道が浮かび上がっているが、土壌液状化によりカルバートが動いたため、その対策工事らしい。
2010(平成22)年04月29日撮影 県道・市道の関係を示す。