昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)


宮古市役所旧庁舎前の国道45号交差点上に架けられた歩道橋の一端がループしている。

なぜ市役所前に自転車対応の横断歩道橋が架けられたのか。別に珍しくもない話だが、歴史を辿ると興味深い接点が見えてきた。

国道45号は、元をたどれば二級国道111号八戸仙台線だった路線であり、1962(昭和37)年に一級国道に指定された。宮古市内は1963(昭和38)年から改良が進められ、1974(昭和49)年11月には宮古大橋から新川町交差点(この歩道橋がある交差点)が新設供用開始された。この歩道橋は国道新道開通に合わせて架けられたのだ。

一方の市役所であるが、1911(明治44)年に下閉伊郡物産館兼公会堂として建設され、1938(昭和13)年以後は宮古町役場庁舎(昭和16年に市制)となったが、1967(昭和42)年に火災により消失。1972(昭和47)年6月には同地に新庁舎が再建された。

折しも高度成長期の真っ只中で「交通戦争」と呼ばれる事故多発のピークは過ぎていたが、それでも交通事故死者数は年間1万人以上であった。そんな時代に道幅の広い国道が敷かれるとあらば、地元住民が黙っているはずがない。市役所新庁舎前で死亡事故は何としても避けたい思いが強かったであろう。建設省地方建設局としても、設計中であれば着工後・供用開始後よりも横断歩道橋架設の予算を付けやすい。様々な偶然と思いが重なって架橋が実現したと考えてよいだろう。

では、なぜ市役所前昇降階段(スロープ)をループにしたのか。交差点斜向いの「三角地帯」と呼ばれる場所に設置されたスロープのように緩やかで大きな弧を描いても良かったのでは?とも思う。推測だが、市役所入口前に昇降階段がないと、国道を乱横断する人が出てくるのではないか。市役所入口前に昇降階段を設け、かつ横断部はできるだけ短距離で、という相反する要求に螺旋階段で答えたのだろう。新庁舎前に設置する横断歩道橋としても見た目のインパクトがある。

当歩道橋の正式名称は「宮古横断歩道橋」だが、歩道橋の桁には「昭和館前歩道橋」と書かれている。昭和館は歩道橋の北東にあった旅館の名前だ。旅館は東日本大震災発災時点では存在していたが、2011年夏に取り壊された。1927(昭和2)年に創業したそうで、昭和元年の日数が極めて少なかったことを考えれば、新時代だからこそのネーミングだったと言える。
また、市役所新庁舎が宮古駅南側に建てられたことにより、旧庁舎は解体が進行中であった。

2018(平成30)年9月に策定された宮古市都市計画マスタープランによれば、庁舎跡地を含むエリアは

「賑わいを創り出し、共に育む」新しい空間として「憩いの場、賑わいの場、つながりの場、伝承する場」としての整備を進めます。

とされているので、この昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)も架け替えられる可能性が高い。

路線国道45号/市道末広町線
所在地岩手県宮古市新川町
回転度360
完成時期1974(昭和49)年
実走行日2020-03-27
全景写真
昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)を市役所旧庁舎正門前から眺める拡大する
昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)を市役所旧庁舎正門前から眺める。
昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)を橋上から眺める拡大する
橋上から眺める。昇降階段(スロープ)が市役所入口前にないと、国道を乱横断されかねない。渡る気になる、を重視した設計なのではないか。
昭和館前歩道橋(宮古横断歩道橋)ループ部の桁はシンプルな構造。

橋上から北側を眺める。写真右の空き地には2011年まで旅館の昭和館があった。

帰宅後の文献調査で判明したことだが、下の市道拡幅に伴う歩道の移設が遅れたため、歩道橋を一旦架設した後にこの北東側階段(写真右)を東(右)へ約2m移動した模様。しかも、歩道橋製作を請けた北日本機械株式会社のウェブサイトに掲載されている同社80周年記念誌「80年の歩み〜未来へつなぐ」の施工実績として紹介されている宮古横断歩道橋には、この道路に架かる桁がない。遅れて架設したうえにさらに移設したという、二度手間三度手間な施工に至った詳しい事情を知りたいところだ。

さらに気付いたこと。道路ファンにとって、国道起終点というのは結構大事なことである。右下の国道標識に付けられた補助標識は「始まり(505-A)」ではなく「方向(511)」と見るべきだろうが、それにしてもこの場所に国道106号の標識が立てられているということは、この交差点が国道106号の起点ということか?200m東の築地交差点だと思い込んでいたが。


かろうじて判読できる橋歴板。