狭原地内ラウンドアバウト


大田原市のほぼ中央、那須野ヶ原扇状地を那珂川が侵食した縁に広がる田園地帯の交差点がラウンドアバウトに改良された。

道路名が表す通り、元々は東野鉄道(とうやてつどう)の踏切であった。1939(昭和14)年6月にこの地点を含む黒羽から終点・那須小川までの区間が廃止となり、その後は道路に転用されたという。

似たような道幅の道路が鋭角に交わるため優先関係がわかりにくく、交差点事故が頻繁に発生していたらしい。地域住民から再三にわたり信号機設置の要望が出されたがなかなか実現せず、その一方でラウンドアバウト導入効果を知った関係者の発案だろうか、当然に予備設計を行って評価したうえでの決断だろうが、この交差点をラウンドアバウトに改良することが2018(平成30)年7月に市長から発表された。

そもそも、なぜ事故が多発していたのか。まず位置関係を見てみよう。

東野鉄道が現役路線だった当時は踏切があって、鉄道側に優先権があった。しかし、廃線後ただちに線路敷が道路に転換されるはずもなく、しばらくは道路側に一時停止の必要がない状態になったはずだ。(戦前の道路交通法に相当する道路取締令では踏切一時停止の必要はなかったが)
つまり、東野鉄道の廃止後は市道南金丸狭原線の前身路線に優先権が生じたはず。

ならば、なぜ市道南金丸狭原線側が一時停止で規制されていたのか?

答えは現地近くのファミリーマートで出会ったご婦人に聞くことができた。市道南金丸狭原線が現在の幅員になったのは2007年頃(ご婦人曰く「ついこの前」)らしい。それまでは小型耕運機が離合するにも気を遣うほどの道幅だったとのこと。対して、市道旧東野鉄道線は昭和40年代には整備され、自動車が走れる道だったと。つまり、その時点で市道旧東野鉄道線に優先権があったわけだ。

しかしその経緯を考えれば、県警が信号機設置を渋る理由がわからないでもない。市が道路を拡幅した結果、事故が多発するようになった。県の予算で信号機を作れ?まず自分たちで工夫しろよ。とは誰も言っていないだろうが、まあ、そういうことだ。(注:この段落は筆者の完全な妄想です。関係者はみなさん真摯に対応を検討したはず。)

ラウンドアバウト供用開始後に訪問した際には、まだ供用開始から間もないこともあって見物人が大勢いた。環道上に1台も車がいない状態になって初めて進入する車、進入車に進路を譲って環道上で停止する車、オーストラリアのように右折のウインカーを出しながら環道へ進入する車等、まだまだぎこちなさが散見されたが、それもせいぜい数週間だろう。梅雨が明ける頃にはスムーズに通行しているに違いない。

路線市道南金丸狭原線/市道旧東野鉄道線/市道狭原8号線
所在地栃木県大田原市狭原
完成時期2020(令和2)年6月5日供用開始
実走行日2020-06-20
全景写真

2020年6月20日撮影

狭原地内ラウンドアバウトを北西側から眺める拡大する
狭原地内ラウンドアバウトを北西側から眺める。青看板でラウンドアバウトの存在を知らせる。これ大事。
北西側で接近してみる。横断歩道も整備済み。
狭原地内ラウンドアバウトを北側から眺める拡大する
狭原地内ラウンドアバウトを北側から眺める。いずれの接続路にも警戒標識「ロータリーあり(201の2)」は設置されていない。
北東側から眺める。この接続路は狭隘であり、通行車両はほとんどない。
狭原地内ラウンドアバウトを南東側から眺める拡大する
南東側から眺める。向こうに見える山並みは那須連峰。
狭原地内ラウンドアバウトを南側から眺める拡大する
南側から眺める。東野鉄道の廃線を転用しただけに道筋は一直線だ。
南西側から眺める。この道路をラウンドアバウトに接続するべきだったのか?ラウンドアバウトに接続する直前の市道旧東野鉄道線に接続するべきだったのか?なかなか判断が難しい点だ。
周囲の景色がほとんど同じなので、案内地標示が不可欠。もっとも、県外者にはさっぱりわからない地名だが。
エプロンに乗り上げて走行する大型トレーラー。このような車両が日常的に走行するとわかっていたからだろう、環道は通常よりも少し大きく外直径36mだ。
規制標識「環状の交差点における右回り通行(327の10)」裏。おっと、2019年12月時点で設置されていたのか。随分気が早いな。

2019年7月19日撮影

狭原地内ラウンドアバウト予定交差点を北西側から眺める拡大する
狭原地内ラウンドアバウト予定交差点を北西側から眺める。1枚目の写真とほぼ同じ位置で撮影した。いかにも事故が発生しそうな交差点ですね。
狭原地内ラウンドアバウト予定交差点を北側から眺める拡大する
狭原地内ラウンドアバウト予定交差点を北側から眺める。3枚目の写真とほぼ同じ位置で撮影した。

おまけ

大田原の市街地にある金燈籠交差点。1819(文政2)年10月、奥州街道二十二番宿の大田原宿のこの地に町内安全を願って辻の中央に常夜灯が建立されたそうだ。その後道路の拡幅等により設置位置は交差点中央ではなくなった。現在置かれている灯籠は3代目にあたる。やってみっぺよ大田原未来塾のウェブサイトで、交差点中央に置かれていた様子を見ることができる。当時はロータリー交差点形式の交通制御だったのだろうか。大田原に栃木県第1号のラウンドアバウトが作られたのは、金燈籠の記憶と無関係ではないかも知れない。