ラウンドアバウト

東北大学川内ロータリー

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革命派である薩長連合に対抗するために結ばれた奥羽越列藩同盟の主導的立場にあった伊達家・仙台藩であるが、戊辰戦争等で戦火に遭うことはなかった。このため、江戸幕府成立前から存在した青葉城(仙台城)はその原型を永らく残していたと言われる。しかし、明治になって新政府陸軍が勤政庁や鎮台を置く等して、さらに太平洋戦争の米軍空襲で、ほとんどが破壊されたという。(以上、現地の解説板等の受け売りです)

その青葉城の二の丸に置かれた旧陸軍第二師団司令部の時代には存在していないが、戦後、いわゆるCamp Sendai/進駐軍川内キャンプの時代に原型となる円形広場が作られている。1947年10月8日撮影の国土地理院空中写真で円形広場を確認できる。

1957年に在日米軍から敷地が返還され、その後1961年(昭和36年)に東北大学が現在のようなキャンパスに整備した時点ではまだ円形広場で、1978年5月25日撮影の空中写真では交差点の含む前後にバスの駐車列を確認することができる。中央島は1980年頃に設けられた模様。

地理院空中写真で東北大学川内ロータリーの変遷を比較

1947(昭和22)年10月08日 円形広場が作られている。
1978(昭和53)年05月25日 まだ円形広場だ。交差点を含む前後に連なるバスらしき車列は青葉城見物の観光バスか?
1983(昭和58)年05月03日 中央島が設けられている。

交差点情報整理

路線市道川内1号線/私道(東北大学構内道路)
所在地宮城県仙台市青葉区川内
実走行日2014年10月12日

中央島は道路交点より少し北東側にオフセットされているが、これは北側接続路と東側接続路の交通流(これが市道)が圧倒的多数なので、それに対応したものと見られる。

現調レポート 2014年10月12日撮影

北側接続路の中善並木(往時の教官・中川善之助氏に由来)から眺める。路面の「止まれ」ペイントは消されていないが、時間が解決することを期待しているのだろう。

東側接続路から眺める。中央島がオフセットされている。

南側接続路から眺める。この道路を走行する車両は極めて少ないので、ここを一時停止にすることは妥当だろう。

走行動画

北側接続路(中善並木)から流入して、1.25回転して東側接続路へ流出した。

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