串木野の浜寄りの街は1945年8月9日・12日に連合軍の空襲を受けている。連合軍が計画した九州南部上陸作戦(オリンピック作戦)に先立ち、上陸予定地周辺の無力化を狙って行われたと考えられる。その戦災復興計画の一環で土地区画整理事業が実施され、串木野駅前の国道3号と県道の交差点 及び 旭町 の2件の円形交差点が設けられることになり、1950年代始めには相次いで供用された模様。
その後、串木野駅前ロータリーは国道の交通量増加に伴って1960年代後半に十字路に改修された。
一方、旭町ロータリーは土地区画整理により5本の道路が接続する交差点となり、商店街の端に位置することもあって串木野のシンボルとして維持されてきた。
1992(平成4)年8月、それまでソテツ(ビロウかフェニックスという説も)が植栽されていた緑地が噴水に変更された。
2009(平成21)年3月、噴水設備の老朽化対応として噴水を撤去、緑地化工事が完了した。
2015年3月2日、ラウンドアバウトとして運用開始となった。
カテゴリー | ラウンドアバウト |
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路線 | 市道大原潟下線 |
所在地 | 鹿児島県いちき串木野市旭町 |
実走行日 | 2016-05-03 |
全景写真 | |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 中央島の向こう側の道路(中央通り)の奥に見える傘は1991(平成3)年7月に完成した串木野ドリーム・キャノピー。 ![]() ![]() |
参考資料 : 串木野郷土史(串木野市教育委員会編・昭和37年12月15日発行)