室前団地(前原住宅)の円形交差点


つくば市(旧大穂町/旧々吉沼村 )の西の端に、1973(昭和48)年に造成された住宅団地があり、その中心部に円形交差点がある。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はなく、現地に回転方向を示すものはないので、ロータリー交差点とは言えない。
※ 吉沼村は1663(寛文3)年から大政奉還まで仙台藩(伊達氏)の領地であった。

関東ローム層である稲敷筑波台地の西端にあたる地で、すぐそばの氾濫平野は古くから水田であったが、台地上は地質にも水利にも恵まれないためほとんど開拓されてこなかった。

そんな農業不適地を金のなる木に変換させる出来事が、昭和38年9月の閣議了解で建設が決定された「筑波研究学園都市」である。紆余曲折はあったが、1970(昭和45)年5月の筑波研究学園都市建設法施行により都市建設と機関移転が進み、中心的存在といえる筑波大学が1973(昭和48)年10月に開学した。

1972年6月に田中角栄元首相の日本列島改造論が刊行され空前絶後の不動産・土地開発ブームに湧いた時期で、デベロッパーは我先にと目ぼしい土地を買い漁った。その一方で、農村部の無節操な開発を抑制すべく1969(昭和44)年6月に新都市計画法が施行され、市街地調整区域や開発許可の考え方が取り入れられた。

この室前団地も二束三文の山林を買い叩いて造成するだけで100倍の値で売り捌けると見込んだのだろうが、デベロッパーは町役場との事前調整を怠ったか、造成が完了した直後に市街化調整区域に指定されてしまい、住宅を建てられない事態に陥った。どれぐらいの区画が販売されたか調べていないが、被害者は数人程度ではないはずだ。斯くして、商店が1軒のみ(現在は閉業済み)建っているというちょっとレアな「未成住宅地」になった。

国土地理院空中写真で変遷確認

1968(昭和43)年08月22日 関東ローム層である稲敷筑波台地の西端にあたり、地質にも水利にも恵まれない一方で排水性に優れるので、稲作困難な土地ではさつまいもが栽培されてきたという。
1975(昭和50)年01月15日 突如として住宅団地出現。ところが町役場との事前調整を怠ったか、あろうことか市街化調整区域になってしまい、原則として住宅を建築できない事態になった。
1980(昭和55)年10月02日 ところが、なぜか1軒建っている。現存する飯野商店(商売は廃業済み)だ。
1984(昭和59)年12月13日 まだ住宅地の様相だ。
1990(平成02)年11月24日 丸裸に造成されてから17年でこんなに緑豊かになるのか。
2008(平成20)年05月06日 かろうじて住宅地とわかる程度に自然に還ってきた。
2021(令和03)年05月04日 道路が緑に埋没して、円形交差点がなければ住宅地と気付かない。

この住宅地がある付近の字名が「室前」で、すぐ北側にある昔からの集落の字名が「前原」である。「室前団地」と表示する地図がいくつかあり、つくば市きれいなまちづくり実行委員会(つまり、地元)では「前原住宅」と呼んでいる模様。1973年頃の新聞雑誌で販売広告を探してみたものの見つけることができていない。団地名とともにデベロッパーを知りたい。(かと言って、登記を調べるほどの気合はない)

交差点情報

路線市道2級13号線/市道2-3604号線/市道2-3617号線
所在地茨城県つくば市吉沼
完成時期1973(昭和48)年
実走行日2022-10-22
全景写真
室前団地(前原住宅)入口。この奥にニュータウンがあるようには見えない。
100mほど進むと家屋出現。これが唯一の家屋であり、この団地の生命線?になるはずだった商店。
室前団地(前原住宅)の円形交差点を北側から眺める拡大する
室前団地(前原住宅)の円形交差点を北側から眺める。中央島に防火水槽が設置されているそうだが、果たして機能するのだろうか?最後の点検はいつだろう?
室前団地(前原住宅)の円形交差点を東側から眺める拡大する
東側から眺める。警戒標識「ロータリーあり(201の2)」はなく、回転方向も案内されていない。もっとも、ここを通行する車両は1週間で何台あるだろう?
室前団地(前原住宅)の円形交差点を南側から眺める拡大する
南側から眺める。中央島は相応に手入れされていて、生活感(というよりはバイタルサイン)を感じる。
室前団地(前原住宅)の円形交差点を西側から眺める拡大する
西側から。この轍は近隣農地を往来する農家の軽トラによるものか?