Jリーグ・柏レイソルのホームスタジアムである日立柏サッカー場近くの住宅地内に3枝の円形交差点がある。残念ながら回転方向は案内されておらず、中央島に町会集会所があるので、ロータリー交差点とは言えない。
昭和18年11月、日立製作所亀有工場の分工場として柏工場が開設(昭和20年1月に分工場から工場へ)され、主に産業機械の燃料噴射ポンプが製造されていた。終戦時には既に稼動していた地下第一工場、8月15日に地下第二工場が、8月末に地下第三工場が順次稼動予定であったが、8月27日にそれらが爆破されたという。
終戦後、日立製作所は連合国総司令部の指令に基づく過度経済力集中排除法による指定会社になった。昭和24年3月18日付の指令で柏工場を含む19工場を処分することになり、昭和28年4月までにほぼ完了した。その土地の再開発主体が誰か不明だが、1954(昭和29)年4月に緑ヶ丘団地建設に着工・分譲された。その街区設計において現在と同じ円形交差点が配されたようだ。
参考図書に掲げた「アメリカ史料から見た柏市域の軍事施設」によれば円形交差点の位置には貯水槽と築山があったとされており、国土地理院空中写真でも防火水槽らしき円形構造物を確認できる。栄町江の島住宅ロータリーや第一豊田荘ロータリーと同じ由来か?
ただ、それらはそれも中央島直径が10mであるのに対し、この柏・緑ヶ丘住宅では直径14mである。大規模工場であるが故に防火水槽も大きくしたのか、それとも住宅地造成の際に円形部分を拡張したのか。
さらに言えば、同資料内にある東京機器工業柏工場の配置図に円形交差点が存在(現在の柏千代田郵便局やや西付近)したように描かれているが、昭和19年9月および昭和22年10月の空中写真では存在を確認できない。
柏・緑ヶ丘団地の変遷
過度経済力集中排除法による指定会社となり、柏工場の存続が明らかになるのを待っている頃か。工場は稼動していなかっただろうが、現在の円形交差点の位置に防火水槽らしき構造物が見える。 | |
1961(昭和36)年06月03日 | 緑ヶ丘団地分譲開始から7年後。当初から中央島に建物が存在したようだ。 |
2019(令和元)年06月17日 | 現在の緑ヶ丘団地。 |
柏・緑ヶ丘団地の円形交差点の情報
路線 | 市道路線番号60024 |
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所在地 | 千葉県柏市緑ケ丘 |
完成時期 | 1954(昭和29)年 |
実走行日 | 2022-09-25 |
全景写真 | |
拡大する 柏・緑ヶ丘団地の円形交差点を南東側から眺める。中央島には町会集会所がある。 拡大する 西側から眺める。町会集会所裏に置かれた緑色の鉄骨架台は盆踊りの櫓だろうか。 拡大する 北側から眺める。いずれの接続路とも、回転方向の指示も案内もないし警戒標識「ロータリーあり(201の2)」もない。一時停止の規制もない。 縁石を見ても防火水槽の痕跡はない。 |
参考図書
- 柏市史 近代編(2000年3月31日 柏市教育委員会発行)
- 日立製作所史 第2巻(昭和35年12月25日 日立製作所発行)
- 麗澤大学 櫻井良樹教授「アメリカ史料から見た柏市域の軍事施設」(2019年3月 麗澤大学大学院言語教育研究科編「言語と文明」)