音無井路十二号分水


円筒分水(九州では円形分水と呼ばれる)では一二を争う有名物件らしい。
竹田市では円筒分水は重要な観光資源とされているようで、近辺には写真アイコン入りの道路標識がいくつも立っている。
そういう有名物件なので、この円筒分水の概要はガッツリ省略する。
農林水産省九州農政局整備部のページ
国土交通省佐伯河川国道事務所のページ
円筒分水ドットコム

近くには取水口のある大谷頭首工管理道路開設記念碑やこの用水開設を最初に計画した須賀勘助の像を彫り込んだ頌徳碑があり、それらは多数のウェブサイトで解説されているのだが、同じ場所にあるもう一つの立派な石碑がなぜか紹介されていないので、文字を起こして紹介する。
須賀勘助の事業が頓挫したおよそ200年後に用水開設を引き継いだ熊谷桃三郎の志を讃え、取水口から円形分水までの水路を明治29年5月に朝倉親爲が完成させたことを明治己亥(=明治32年)に記したもので、昭和9年3月、円筒分水完成を記念して熊谷桃三郎の子孫が設置したと思われる。

豊後直入郡宮砥村ハ旧岡城主中川家ノ封土タリ正徳中奉行須賀勘助同村字音無ガ新井路開鑿セント欲シ其計画ヲナシ各所ニ隧道ヲ穿チシモ半途ニシテ息ム文化年間惣奉行横山甚助其工事ヲ継カントシ未タ着手セズシテ復タ止ム維新ニ至リ中川家版籍奉還後明治十四年同村熊谷桃三郎氏發起トナリ工事ヲ再興セントスレ其資力ニ乏シキ故金主ヲ索メ事業ヲ依托シ水源ヲ肥後国阿蘇郡野尻村大谷ニ求メ十七年起工シ熱心之レガ斡旋ニ従事シタレ共不幸屡蹉跌シ容易ニ其目的ヲ達シ得ズ廿八年親爲其事業ヲ引受ケ地方ノ有志ガ更ニ定約ナシ仝年十二月起工廿九年五月竣工ス熊谷氏十有年間始終一日ノ如ク斡旋シ今日ノ成績ヲ見シハ其功大ナリト云フベシ依リテ聊カ其功労ヲ誌ス
明治已亥晩秋   朝倉親爲撰文

この碑文と現地解説板(およびWikipedia)の記述には、取水口から円形分水までの水路の完成時期に4年のずれがあるのだが、なぜだろう?

水源である大谷頭首工は大谷ダムから2kmほど下流の堰と思うが現場未確認。継続調査事項だ。

管理者音無井路土地改良区
所在地大分県竹田市九重野
訪問日2015-05-05
全景写真



澄んだ水が轟々と流れる。
大谷頭首工管理道路開設記念碑
中央が、この用水開設を最初に計画した須賀勘助の像を彫り込んだ頌徳碑
熊谷桃三郎の志を讃え朝倉親爲が完成させたこと記している石碑
配水先への樋管が素掘り隧道を跨ぐ。