藤の木第二道路橋

JR鳥栖駅の南、旧鳥栖客貨車区へのアクセス路として設けられた道路がループしている。

この道路は1971(昭和46)年に開通している。鳥栖駅東側一帯が国鉄の大規模基地になったのはそれより遥か昔のことなのに、なんでそんな時期に?という疑問がわくが、鹿児島本線・長崎本線と「市道今泉・田代大官町線」の踏切を除却し「藤木地下道」を建設するための準備工事によるものだ。踏切が存在する時代は旧鳥栖客貨車区出入口が市道今泉・田代大官町線に接していたが、アンダーパス化により標高差が生まれてしまうため、市道今泉・田代大官町線からいったん西側へ分岐させループ形式で緩勾配の道路が設けられた。

ループ部は鳥栖市道、その市道を跨ぐ当橋梁より北側の道路はJR九州の所有物件であるため、橋梁の手前にフェンスが設けられていた。

旧鳥栖機関区は1984(昭和59)年に車両無配置になっていることから、旧鳥栖客貨車区は同時期に廃止されたと考えていいだろうか。1988(昭和63)年には大々的に機関区や操車場の設備撤去が行われたらしいので、その頃から使われていないと見ていいだろう。

国道3号の「商工団地入口」交差点から、藤の木第二道路橋付近を経て、鳥栖市民球場前へ抜ける都市計画道路「3・3・107 酒井西宿町線」が予定されており、JRを跨ぐ部分が開通する折にはこの藤の木第二道路橋は撤去される可能性が高い。

路線市道(橋梁部はJR九州の私道)
所在地佐賀県鳥栖市藤木町
回転度270度
完成時期1971(昭和46)年
実走行日2017-04-30
全景写真
藤の木第二道路橋全景。高欄が崩壊している。ただちに落下するようなことはないと思うが、何も手当されていないのはこの橋梁の撤去が近いと言うことか。
橋台に取り付けられている構造物銘板。その当時の物件としては珍しい気がするが、国鉄では当然のことだったのだろうか。
橋桁に取り付けられている橋歴板。
ループ最奥部から眺める藤の木第二道路橋ループ全景拡大する
ループ最奥部から眺める藤の木第二道路橋ループ全景。道路としての役割を終えてかれこれ30年経っても、5月になればツツジが花を開く。
ループ上部から眺める藤の木第二道路橋ループ全景拡大する
ループ上部から眺める藤の木第二道路橋ループ全景。内側ガードレールは上辺がひどく発錆していた。
JR九州による立入制限