和佐父ループ


兵庫県北部・香美町の旧村岡町域の和佐父(わさぶ)という集落の入口に、かつてループ橋があった。存在を知ったきっかけは、香美町で森林関係の情報を発信している人たちのツイートだった。

ネットには情報がほとんどなく、現地訪問と合わせて現地図書館で文献調査して、おぼろげに概略が見えてきた。

和佐父という地域と道路敷設の経緯

但馬地域の山岳部には木地屋(木地師)が良質の木材を求めて腰を下ろした地がいくつかあり、和佐父の奥の小城という集落もそのひとつであった。

木地屋(木地師)たちが居を構える地は必然的に山奥故に現代的生活を営むには厳しく、昭和10年代に和佐父の下まで自動車通行可能な道路が拓かれたが、当時の技術では和佐父の急傾斜を克服できず、小城まで車道が通じたのは1978(昭和53)年だった。

小城までの車道敷設に先立ち、和佐父地内の地すべり対策を経て1968(昭和43)年にループ橋が完成、引き続き小城に向かって林道小城和佐父線(後に町道和佐父小城線に認定)に着工した経緯だ。

すぐ近くの国道9号関宮ループが開通した翌年にこちらが開通したので、当時はさぞお祭り騒ぎだっただろう。

ループ橋の構造

ループ橋は名付けられていたと考えることが自然だが、記録を発見できていない。地元では「ラーメン橋」と呼ばれていたそうで、左に右にくるくる回る橋で麺料理のラーメンのようだからとの説明(そのように理解した気持ちはよくわかる)だが、たぶん違う。ラーメン構造に由来するものだろう。

参考資料に掲載されている写真を見ると、坂の下から登ってきた道路が門型橋脚をくぐった後に左に急カーブ、その上に架かる橋の橋脚をかわして(橋の下を通って)下の道と立体交差し、さらに右に急カーブして土工部を経て橋で下の道路を跨ぎ、集落へつながっている様子がわかる。二連ループなので「の」の字と言うよりは「S」字の上下を押しつぶしたような、もしくは「69」字だ。(誰だ、エッチな連想をした人は?)

設計図書を見たわけではなく地図や現場の印象を元に推定すれば、最小半径10mほどの悶絶急カーブでカーブ内側に橋脚があるので、車両限界は全長6m・ホイールベース3m程度だったのではないか。2トンショートトラックの通行を前提にしたのだろう。

僻地の小規模な橋梁とは言え、そんな変態橋梁なのに、平成まであった橋梁なのに、記録がほとんどないのはなんとももどかしい。日本橋梁建設協会の橋梁年鑑に掲載なく、村岡町広報誌にもわずかな断片的な記録しかない。参考資料に掲載された写真から推察すれば、下側で崖に張り出して架設された橋梁は3径間連続ラーメン橋、上側で小さな谷筋をショートカットするように架けられた橋梁はTラーメン橋だったと見られる。

ループ橋の現在

そんな、ある意味「攻めた」道路であったが故か道路改良の要望が高まり、1998(平成10)年度に現在の状態に改良された。迂回路がほぼないので活線工事だったと考えられるが、橋梁撤去の工程が想像できない。もしかすると、そのまま土中に埋められた(つまり、現在の二連ヘアピンの下にそのまま橋がある)かも知れない。

のの字の情報整理

構造(上側)Tラーメン橋
(下側)3径間連続ラーメン橋
路線町道和佐父線
所在地(当時)兵庫県美方郡村岡町和佐父
回転度315度+315度
完成時期1968(昭和43)年
実走行日2022-05-05

現調写真

現地で当時の話を聞きたかったが、誰もいなーい! 田植え時期だったからだろうか。

和佐父の入口にある橋梁

和佐父集落のずっと下、川会集落に近い位置の和佐父川に架けられた橋梁「振興橋」。架設以前は和佐父川の右岸を通って和佐父橋(1935年完成)の北詰で県道香住村岡線に接続していたと推定するが、記録がない。

振興橋は1976(昭和51)年11月完成。

ループ橋があった場所

和佐父集落直下の急傾斜地。ここに道路を作ろうと決めた人はすごいが、この上に住もうと最初に思った(おそらく平安時代の)人たちもどうかしている。当時は相当な宝の山だったのか?

和佐父ループのひとつ目の立体交差があったであろう付近を眺める拡大する
和佐父ループのひとつ目の立体交差があったであろう付近を眺める。どんなふうにループしていたのか想像できないぞ?

和佐父ループがあった場所全景拡大する
和佐父ループがあった場所全景。グラウンドアンカー頭部が見えるコンクリート擁壁と石積み擁壁が並んでいるが、石積み擁壁は1968年に施工された部分、コンクリート擁壁は1998年に施工された部分だろう。

ループ橋を推定

和佐父ループ推定拡大する
和佐父ループを推定してみる。「S」字の上下を押しつぶしたような、もしくは「69」字と表現した意味がわかるだろうか。

別角度から見る和佐父ループ推定拡大する
別角度から和佐父ループを推定してみる。活線(一般車を通行できるようにしたまま架替え)で崖に張り出した橋桁を撤去する工事手順が想像できない。橋桁橋脚を撤去せず埋めた可能性がある。

ループ橋撤去工事

広報むらおかの窓 297号(1998(平成10)年10月号)に掲載されていた工事風景。ひとつ上の写真とほぼ同じ構図だ。仮設橋を建設しようがなく、崖に張り出したカーブの線形がほぼ同じに見えるので、橋桁橋脚は撤去していないのでは?と考えてみた。


参考資料

  • 広報むらおかの窓 297号(1998(平成10)年10月号)
  • 小城追憶 -小城民俗調査報告書- (香美町歴史文化遺産活性化実行委員会編/2014(平成26)年3月)
  • 但馬の100年:写真アルバム (樹林舎刊/2021年12月)
参考資料の調査にあたっては、兵庫県立図書館レファレンスサービスに多大なる協力をいただきました。あらためて御礼申し上げます。