飾磨臨海大橋

(2003年9月14日初版公開/2022年7月16日全面書換)
臨港道路須加中島北線は臨港道路姫路飾磨線から分岐し、国道436号・旧国鉄播但線(通称飾磨港線)跡・野田川を越えて県道540号飾磨港線に接続する。姫路港飾磨地区(JFE条鋼姫路製造所や飾磨埠頭)と姫路港中島地区(合同製鐵や山陽特殊製鋼)を往来するためには国道250号へ大きく迂回する必要があり、それが故の国道250号渋滞を解消する目的で架橋されたとのこと。

その臨港道路須加中島北線は全長約1300m、うち1100mは飾磨臨海大橋(右岸取付橋265.1m+本橋310.4m+左岸取付橋525.5m)で、右岸取付橋がループしている。

橋の上流に山陽特殊製鋼の専用岸壁と奥村造船工業(造船所)があり、これらに着岸する船舶に備えて桁下高18mを確保することが要求されたようだ。左岸側は直線斜路を敷設する十分な空間があったが、右岸側は既に工場が隙間なく立地していて、現区画にあった工場を潰して取付橋用地とした。1986(昭和61)年に国鉄播但線姫路-飾磨港間(通称飾磨港線)が廃止されたが、その決定がもう少し早ければ飾磨臨海大橋はループ橋にならなかったかも知れない。

ループしている右岸取付橋は1985(昭和60)年3月に完成したが、全体の供用開始は1987(昭和62)年。連続PC構造としては当時国内初の施工だったことがコンクリート工学1986年4月号(24巻4号)に報告されている。

※ 野田川=外堀川だと思い込んでいたが、国道2号姫路バイパスの南・三ノ切橋付近を境に上流を外堀川、下流を野田川と呼ぶそうだ。17世紀初頭、姫路城主・池田輝政が姫路城と瀬戸内海を直接つなぐ運河を開鑿しようとしたが、輝政の死により事業中止となり、開鑿した運河のことを輝政の名・三左衛門堀と呼び、その南端が三ノ切橋だったことによる。

飾磨臨海大橋架設地の変遷

1961(昭和36)年6月 | 1980(昭和55)年10月 | 1986(昭和61)年4月 | 2010(平成22)年5月

1961(昭和36)年06月 飾磨港付近がまだ農村風景だった頃。飾磨臨海大橋右岸取付橋の位置には既に工場が立地している。JFE条鋼姫路製造所の前身・日伸製鋼か?
1980(昭和55)年10月 国鉄播但線(通称飾磨港線)の線路が見えるが、この頃には既に貨物・旅客ともにほとんど利用がなく、廃墟の様相だった。
1986(昭和61)年04月 飾磨臨海大橋右岸取付橋(ループ部)が既に完成、左岸取付橋の工事が進んでいる。
2010(平成22)年05月 現在の様子とほぼ同じ。飾磨臨海大橋の北側に全長45m程度の船舶が見える。入渠した鋼材船か?
路線姫路港臨港道路須加中島北線
所在地兵庫県姫路市飾磨区細江
回転度360度
完成時期1987(昭和62)年供用開始
実走行日2003-09-14
全景写真
(特記した1枚のみ2003年撮影、他は2022年撮影) 飾磨臨海大橋全景拡大する
飾磨臨海大橋全景。橋桁を水色にすることで軽快感を出そうとしているのだろうが、威圧感がある橋だ。
飾磨臨海大橋右岸取付橋(2003年撮影)拡大する
飾磨臨海大橋右岸取付橋(この写真のみ2003年撮影)
飾磨臨海大橋右岸取付橋(2022年撮影)拡大する
飾磨臨海大橋右岸取付橋(2022年撮影)
20年経ってもほとんど変わらない風景に、逆に驚く。
飾磨臨海大橋右岸取付橋の歩行者用階段。ループ部の車道に沿って歩道が併設されているが、ジョギングや自転車の人向けかな。一般人はこちらの階段でしょう。
全部で108段。神社かよ。てか、数えたんか。
両端に橋名板があるが、兵庫県仕様なので完成年月が記されない。
橋歴板によれば、飾磨臨海大橋右岸取付橋の橋桁は1984(昭和59)年3月に完工した。右岸取付橋全体の完成は1年後だが、その間はどんな工事をやっていたのだろうか。
飾磨臨海大橋は国道436号をまたぐ。国道436号は実質的に小豆島国道であり、本州区間は1200mしかない。