天狗橋

(2004年8月27日初版記事公開 2020年12月28日記事全面書換)
旧日原町及び旧柿木村と旧匹見町を結ぶ数少ない道路のひとつであるはずの島根県道189号匹見左鐙線は、途中の燕岳付近に未開通区間がある。この迂回ルートのように存在する道路が、林道安蔵寺線+緑資源幹線林道 波佐阿武線(匹見・柿木区間)と、林道ハビ内谷線である。そして、林道ハビ内谷線と県道189号を接続する区間の津和野町道(旧日原町道)にのの字が存在する。

県道189号を東進、「福谷口」バス停前を左折して上内谷峠(かみうつだにだお)へ向かう。
福谷川(ふくだにかわ)と絡みながら林道のような細い道が続く。この道でいいのか?と不安がよぎる。やがて福谷川の流路が見えなくなった頃、谷間に交差する橋が見えてくる。

山陰地方、特に石見地方は古来よりたたら製鉄(「たたら」は鑪/鈩とも書く)が盛んで、この福谷川流域にも鉄滓(ノロ)が大量に残る鈩跡があると聞く。原料の砂鉄採取や燃料としての木炭生産調達等に関わる人々が往来していたが故に、峠越えの道路が形成されたと考えられる。そんな歴史により人道自体はかなり古くから存在したが、自動車の通行が可能になったのは昭和30年代で、その車道は九十九折で上内谷峠を越えていた。

砂鉄鉱滓の流出を防ぐ目的か、或いは周辺の地質が主に花崗閃緑岩であるが故に風化進行により発生しやすい土砂災害を防ぐ目的であろうか、福谷川が砂防指定地となり、砂防堰堤建設のために道路を付け替える必要性が発生したと想像している。

斯くして1987(昭和62)年12月に天狗橋が完成、引き続いて前後の道路が整備され、1988(昭和63)年~1989(平成元)年頃に町道福谷線の付け替え区間が供用開始となった。

上内谷峠の北側、匹見町上内谷地区と匹見町中心部をつなぐ林道ハビ内谷線は、急カーブは多いものの快適舗装林道である。林道中間地点付近にある竣工記念碑は一見の価値あり。

路線町道福谷線
所在地島根県鹿足郡津和野町左鐙(旧 鹿足郡日原町左鐙)
回転度270度
完成時期1987(昭和62)年12月 橋梁完成
実走行日2004-08-27
全景写真
(初訪:2004年08月27日) 天狗橋全景拡大する
天狗橋全景。周囲には何もない。山深い場所に来たと実感できる。本当に天狗が出そうな場所である。
昭和末期の橋梁で縦書き橋名板は多くない。
ハビ内谷線の林道標識。クネクネしていてスピードは出せない構造になっている。
この記念碑を見るために訪れる価値がある。ハビ内谷線は林道界のサグラダ・ファミリア。

(再訪:2020年09月21日) 天狗橋を見上げる拡大する
事前情報なく初めて通るとき、数十秒後にあの橋を通行するとは思わないだろう。それがループ橋の面白さだ。
天狗橋東詰からの眺め拡大する
天狗橋東詰からの眺め。山を大規模に切り崩してまで付け替える必要があった道路。1日あたりの通行量は多くなく、せいぜい100台程度だろう。
天狗橋空撮拡大する
天狗橋空撮。福谷川の流路はよく見えないが、写真下中央から右上へ向かって流れている。その流路に沿って旧道が延びている(はず)。
ループ部に残る旧道入口。徒歩で進入を試みたが15mで挫折。廃道になったとは言え廃道化工事(植生回復工事)は行われていないはずなのに、30年ほどで見事に自然へ戻っている。
前回訪問時、迂闊にも一部の橋名板を取り損ねていたので、あらためて記録。残念ながら橋歴板にはたどり着けず。

国土地理院の空中写真で比べる天狗橋周辺の変遷

1982(昭和57)年06月04日 | 1988(昭和63)年05月13日 | 1991(平成3)年04月19日
天狗橋完成直後の1988(昭和63)年05月13日時点では旧道の経路がはっきりわかる。