見晴橋

(2003年7月27日初訪)
津久井レイクタウンは小田急が1970年頃から開発を開始した分譲地。相模川の河岸段丘を構成する土地だろうか。国道413号より80mほど高い位置になだらかな丘陵が広がっている。分譲地のすぐ際に崖と言ってもいいほどの標高差が存在するが故に、自動車が安全に通行できる道路を通すため、のの字構造という奇策が採用されたのだろう。

国土地理院国土変遷アーカイブスによれば、1971年4月時点で雛壇造成された土地に囲まれるようにして、既に架橋されているように見える。従って、1970(昭和45)年には完成していたと見ていいだろう。

いまや300軒程度の街に成長した(2020年注記:御多分に洩れず、ここも住民が激減しているらしい)津久井レイクタウンの正面玄関と言えるような場所に「のの字」が位置し、訪問者にここが丘陵であることを強く印象付けている。周辺は比較的よく整備されており、きっと毎月第1日曜の朝等に自治会で道路の清掃をしているのだろう。

のの字の脇に林の中を抜ける歩道があり、「虹の小道」と名付けられていた。「虹が見える」という案内から推測するに、見晴橋の高欄が虹色に塗装されているところに由来するものと想像するが、なぜ虹色なのか。ループしている様子を虹に例えたのだろうか。

「見晴橋」という名称とともに、整備されている周辺の様子から住民の愛着を感じる場所だった。


(2020年7月12日再訪)
見晴橋が架け替えられたのは2014年3月。気付いたときには架け替えられた後だったので、近くを通ることがあれば立ち寄ってみようと思っていたが、その後6年経っても立ち寄る機会は全く無く、気合を入れて再訪した。

初代はRC桁橋であった見晴橋はボックスカルバートになっていたが、のの字は昔と変わらず、内側の植栽も小綺麗に維持されていた。

実はこの橋の読みを「みはるばし」だと思いこんでいたが、武蔵村山の残堀川に架かる「見晴橋」のかな名が「みはらしばし」であることを目撃し、もしかして津久井レイクタウンの見晴橋も同じかも知れない、ということに気付いた。初訪時に漢字名だけしか撮影していなかった手痛いミスだ。仕方なく、現地で再確認することが重要課題であった。

現場にはかなの橋名がわかるものはなく、通り掛かる住民を待って質問したところ、1名は「住宅地内につながるもうひとつの道路が『みはらし坂』なので、この橋も『みはらしばし』だろう」と言い、もう1名は「みはるばし」と言う。住民なんてそんなもの。市議会中継を確認してみたところ、津久井土木事務所長が「みはるばし」と発言していたことをここに記録しておく。

路線町道? 市道丙谷戸線
所在地神奈川県津久井郡津久井町太井 神奈川県相模原市緑区太井
回転度300度度
完成時期1970(昭和45)年?
実走行日2003-07-27
全景写真
(2003年7月27日初訪) 見晴橋全景拡大する
見晴橋全景。残念ながら、のの字全体を俯瞰できる場所はない。
見晴橋の下から眺める。橋自体は特徴のないRC橋だ。
(2020年コメント追記)なぜ漢字名の橋名板しか撮影していなかったのか。てめぇの馬鹿さ加減にゃ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ。
虹の小道とは。
この高欄が見えるが故に「虹の小道」なのか。

(2020年7月12日再訪) 2014年3月に架け替えられた見晴橋拡大する
2014年3月に架け替えられた見晴橋。ボックスカルバートで、見た目は先代と大きく変わらない。
橋名板は取り付けられていない。高欄はガードレールとガードパイプの組み合わせで、虹色ではなくなった。さて「虹の小道」の存在意義はどうなる?
2020年の見晴橋ループ全景拡大する
2020年の見晴橋ループ全景。ループ内側の樹木の成長に驚く。2003年にはほんの2mほどの高さだったのに。
橋名板を取り付けないなら、橋歴板にかな名を記してくれないか。

津久井レイクタウン ビフォー・アフター

Before
After

左:1968(昭和43)年05月09日撮影  右:1971(昭和46)年04月25日撮影