中国地方で初めてラウンドアバウトに指定された交差点。
周辺は江戸時代中期から入浜式塩田として造成された土地で、1838(天保9)年に完成した中新開塩浜の端にあたる。100年以上にわたって製塩事業が行われたが、イオン交換膜製塩法の登場により寄島地区での製塩は1959(昭和34)年に終了した。
塩田跡は工業用地に転用することになり、干拓工事を行うことで排水性を改良し、1971(昭和46年)に造成を完了した。現在は住宅・中学校・工場等、様々な用途になっている。
一方、寄島町の本土側と寄島の間の海を干拓する県営農業干拓事業が計画され、1957(昭和32)年に事業着手、製塩事業終了と同時に着工、1983(昭和58)年3月に竣工した。事業当初時点で既に稲作転換が議論されていて工業用地に転換される可能性が高いと見られていた背景もあり、昭和59年3月に目的が変更され、地域振興に役立つ用途での利用が可能になった。現在は小学校・専門学校・運動場・いくつかの事業者の事業用地になっているが、大半は未利用地である。
そんな土地利用であり、歩道・環境施設帯を含む道路幅員は25mと立派なものであるが通行車両が比較的少なく、交差点を信号機で制御するよりラウンドアバウトにするほうが様々な観点で効率的で安全性が高いと判断されたのであろう。その幅員であるが故に用地買収の必要もないことは大きなアドバンテージであったに違いない。
ラウンドアバウト設置当初は環道進入前に一時停止で規制されていたが、2020年1月頃に改良工事が行われて
- エプロン端は歩車道境界コンクリートブロックが復活した(供用開始直後はブロックあり、その後ブロック撤去)
- 環道進入時の規制が「ゆずれ」に変わった
- 歩行者横断点滅器が設置された
が主な改良点だ。吉備中央町 八丁畷交差点に比べると遥かに通過車両が多いので歩行者横断点滅器を試し押しするのは自粛したが、同じく大音響なのだろうか。
交差点の横には、尾焼川に架かる御門橋(1992(平成4)年9月竣工、橋長14.7mのPC桁橋)がある。川と言っても、元々は海だった場所を干拓する過程で設けた排水路のような位置付けである。なお、橋名板には「尾焼川」と掲げられているが、国土数値情報で公開されている河川名は「大川」だ。尾焼川は北西1kmにある尾焼大池に端を発し、700m下ったところで御門川に合流して終わりのはず。謎。
路線 | 岡山県道47号倉敷長浜笠岡線/岡山県道64号矢掛寄島線/市道 |
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所在地 | 岡山県浅口市寄島町 |
完成時期 | 2016(平成28)年4月28日運用開始 |
実走行日 | 2020-09-24 |
全景写真 | |
拡大する 寄島町御門橋横の県道交差点を北側(県道64号矢掛寄島線)から眺める。ラウンドアバウト化されるまでは、南行車線はここで3車線(左折レーン・直進レーン・右折レーン)に分かれていた。 拡大する 東側から眺める。2020年2月から一時停止の必要がなくなった。 南側(市道)から眺める。県道に比べると狭い幅員であるが、それでも歩道と環境施設帯を持ち、十分広い。 西側から眺める。青看板でもラウンドアバウトの存在を強調している。 流出箇所では方向案内が掲出されている。また、吉備中央町 八丁畷交差点と同じ製品と見られる歩行者横断点滅器が設置されている。 拡大する 寄島町御門橋横の県道交差点空撮。歩道・環境施設帯の広さ、中央島のうるさいほどの視線誘導、エプロンのペイント、環道に食い込んだ橋梁床版、強烈な個性を持つラウンドアバウトだ。 エプロン端には歩車道境界コンクリートブロックが復活した。供用開始直後のブロックは製品品質か施工品質が悪かったのか、かなりボコボコになったらしい。一度は撤去されたが、ブロックがないとエプロン乗り上げが多発するのだろうか。 供用開始直前に設置されたことを示す規制標識「環状の交差点における右回り通行(327の10)」。 御門橋上のモニュメント、ガザミ(ワタリガニ)。解説はないが「寄島の魚」である。 同じく御門橋上のモニュメント、「通学船」。まだ離島だった時代に寄島の子供らの通学手段は上級生が漕ぐ船だったという。何十年かの歴史の中、流されたことは二度や三度ではないだろうと想像する。 |
寄島干拓地 ビフォー・アフター
左:1961(昭和36)年05月06日 国土地理院撮影
右:2007(平成19)年07月24日 国土地理院撮影
青丸がラウンドアバウト化された県道交差点の位置。
参考文献
山村と海村の地理 – 岡山大学教育学部地理学研究室(昭和46年5月27日)