8067-1号橋


久喜駅の北側でJR東北本線と東武伊勢崎線を跨ぐ人道跨線橋の一端がループしている。

この道は元々は幸手新道と呼ばれる、1888(明治21)年に幸手と久喜を最短経路で結ぶために開鑿された道路である。当時の幸手にはまだ東武日光線が通じておらず、1885(明治18)年に開業した東北本線(当時は日本鉄道)久喜駅をターミナルとする物流網の構築は周辺自治体にとって重要課題であった。一直線の道路がその重要性を表している。

以来、90年にわたって幸手新道踏切が運用されてきたが、昭和の高度経済成長で自動車通行量が飽和状態となったため踏切除却事業が進められ、1976(昭和51)年2月に当歩道橋及び車道の跨線橋である丸島大橋が供用開始され、踏切は除却された。当時の踏切東側付近には民家があり、買収の難航が予想されたのだろうか、昇降スロープは民家を避けるようにループを描くこととなった。

ところでこの事務的な橋梁名はなんとかならなかったのだろうか。住民に募集すればそれなりに応募があっただろう。急成長していた久喜市にはそんな人的・時間的余裕がなかったに違いない。

※ 1970(昭和45)年の人口:7万5千人、1980(昭和55)年の人口:11万5千人、4万人の増加に対する行政の執行体制整備は常に後手に回ったことは想像に難くない。地元では「ぐるぐる橋」と呼ばれているとのことだが、7035-1号橋との区別はつくのだろうか。
路線市道久喜8067号線
所在地埼玉県久喜市久喜東2丁目
回転度450度
完成時期1976(昭和51)年2月1日供用開始
実走行日2020-11-15
全景写真
8067-1号橋を東側から眺める拡大する
8067-1号橋を東側から眺める。このスロープを登るのかと思うと、少し怯む。
8067-1号橋を西側から眺める拡大する
西側から眺める。こちらはループしていない。写真右、線路に直行するように道路が終わっているが、これが幸手新道踏切の痕跡だ。
8067-1号橋のループ部を眺める拡大する
ループ部を眺める。円弧と直線を組み合わせていることがわかる。土地の制約と示方書の基準をクリアするのは、自然地形を克服するのと同レベルに難しいことを実感できる。
橋歴板に記された1975年12月は橋桁の完成時期を示しており、供用開始は1976年だ。

8067-1号橋 ビフォー・アフター
Before
After

左:1975(昭和50)年01月06日撮影 幸手新道と国鉄東北本線の交差部に踏切がある。車道跨線橋の丸島大橋の建設が始まっている。
右:1980(昭和55)年10月15日撮影 幸手新道の踏切が除却され、8067-1号橋が架設された。

現存する踏切

丸島大橋の下には、「旧幸手街道踏切」が現役だ。この旧幸手街道は幸手新道とは別なのか、調査しきれていない。